恋愛小説「十日間の恋」
僕の家の向こう三軒ほどのところに、可愛いい女の子が住んでいるのは知っていた。 山下さんという名前だった。たまにすれ違うくらいで、話をしたことはなかった。 大雪の降った日の朝、バス停に行くと、彼女がバスを待ってた。バスはなかなか来なくて、長い行列ができていた。僕は彼女に、 「駅まで歩きましょうか」 と言ってみた。彼女は、 「そうですね。仕方ありませんね」 そう言って、二人で歩き始めた。道が凍っていて、手と手を取り合って歩いた。
「何人兄弟ですか」 「姉と妹がいます」 「僕は、三人兄弟の三男です。年はおいくつですか」 「二十五歳です」 「じゃあ、お話も多いでしょう」 「それが決まっているんです。でも気が進まないんです」 雪は高く積もっていて歩きにくかった。少しずつ歩いた。
やがて国立駅に着いた。階段を上り、電車に乗った。車内は混んでいて、僕達はほとんど抱き合うような格好になってしまった。こんなに目近で彼女を見るのは初めてだった。透き通るような瞳が印象的だった。 「お名前は何というのですか」 「初穂です」 「珍しい名前ですね」 「父がっけたんです」 「僕は純というんです」 「いい名前ですね」 「僕も父がつけたんです」 彼女は慶応大学の東洋史学科を卒業して、三菱商事に勤めてた。僕が名刺を渡すと 「三井物産ですか」 と少し驚いたようだった。 やがて電車は三鷹に着いた。彼女の勤める会社は丸ノ内にあるので、彼女はそのまま乗って東京駅へ行き、僕は、三鷹から東西線の始発に乗り換え、座って大手町の会社へ向かった。
翌日は、早目に家を出て、バス停で彼女を待っていた。やがて彼女がやって来た。 「おはよう」 「おはようございます。でも今日は、お会したくなかったんです。だってお化粧していませんから」 確かに化粧はしていなかったが、瞳が綺麗なことに変わりはなかった。 やがて、バスが来て駅へ向かった。電車に乗って話をした。 「朝は弱いんです。朝食も食べたくないんですが、無理やり食べているんです。遅刻もしょっちゅうなんです」 「僕も朝は弱いんです。遅刻もよくします」 婚約者は、早稲田大学のラグビー部のOBだという。 「どこで知り合ったのですか」 「友人の結婚式の二次会です」 やがて電車は三鷹に着いた。僕は電車を降りて乗り換えた。
通勤デートが続いた。 十日目のことだった。僕は三鷹で降りるのをやめて、中野で乗り換えることにした。中野からも始発が出ていた。そして思いきって、彼女を食事に誘ってみた。彼女はしばらく考えてから答えた。 「そのお誘いはお断りする他ないんです。だって婚約してますから」 そう言って目を伏せた。
僕は、中野始発の電車に乗り、座席に座り、思った。 十日間の短い恋だった。これはきっと、忙しい僕に神様がくれたプレゼントだったのだろう。そう思いながら会社に向かった。
|