恋愛小説「約束」
僕は、大学の四年生だった。卒業も近くなった頃、従兄の経営する事務用品の会社が行う、スキーバスツアーに行くことになった。取引先の会社との共同企で、「ポップコーン」と呼んでいた。 集合場所である,富士通の入り口に行くと、すでにたくさん人が集まっていた。綺麗な女の子が多く、僕は目うっりした。 やがてバスは出発した。バスの中ではそれぞれが自己紹介をしたり、歌を歌って賑やかだった。 目的地は信州の美ヶ原だった。 バスは美ヶ原の山荘の手前で停まった。雪が深くて、それ以上進めなかった。ジープが迎えに来て、それぞれ山荘へ向かった。 僕はジープに乗るのは初めてだった。四輪駆動車は、力強く、雪をかき分け走った。とても楽しかった。 山荘は山本小屋だった。まだ新しく、よくこんな所に建てたものだと感心した。 さっそくスキーを履き、滑りだした。僕は、スキーは二級だった。残念なことにリフトはなかった。それでも、十分に楽しめた。 夕方になって、小屋に帰り、夕食を食べて部屋に入った。従兄のたかちゃん、くにちゃんと一緒だった。テレビを見て時間をつぶして布団に入った。 翌日も快晴だった。また滑り、楽しんだ。昼食を食べて帰ることになった。今度は、バスが上まで来ていた。スキーを積み、バスの席に座った。たかちゃんが窓側に座り、僕は通路側だった。しばらくすると背の高い僕は、足がつらくなってきた。それで通路の補助椅子を倒して、そこに足を伸ばした。横を見ると、綺麗な女の子が座っていた。 「富士通の方ですか」 「はいそうです」 「お仕事はなんですか」 「役員秘書です」 ふうんと僕は思った。やはり、役員秘書ともなると美人なんだなと思った。 「仕事は楽しいですか」 「仕事は仕事ですから」 それからいろいろな話をした。 「いつ就職したのですか」 「去年です」 「僕は今年の予定です。朝、起きるがつらいと思うんです」 「みんな、初めはそうです。私もつらかったんです」 話すうちに、だんだん彼女は僕を見つめるようになった。僕も見つめると、彼女の瞳がとても綺麗なことが分かった。そして見つめ合っていると性的興奮さえ覚えるようになった。年は僕と同じだった。 「名前を聞いてもいいですか」 「はい、浅野由貴子です」 「僕は貞苅純です」 バスは走り続け、やがて会社の前に停まった。皆それぞれのスキーをかつぎ、家 路に就いた。
僕は彼女付き合いたいと思うようになった。思いきって会社に電話した。 交換台が出た。 「秘書室、お願いします」 「はい、お待ちください」 電話は秘書室に通じた。 「浅野さん、お願いします」 やがて、由貴子が電話に出た。 「貞苅ですが、覚えていますか」 「はい、覚えています」 「お会いしたいんですが」 「はい、お会しましょう」 僕らはヽ銀座のソニービルの一階で待ち会わせることにしたっ僕は車を飛ばして。銀座に着いた。彼女は、すでに来ていた。 「会えてよかった」 「私も」 僕らは、六本木のピザの専門店に行った。ピザを食べながら、ゆっくり話をした 彼女は青山学院の仏文科を出ていた。卒業論文はラディゲだと言った。僕もラディゲの作品を読んだことはあるが、よく分からなかった。 「よく書けたね」 「楽しかったわ」 僕は、彼女の頭のよさに驚いた。 やがて、時間が過ぎて彼女を家へ送って行った。彼女の家は三軒茶屋にあった。彼女を送ると、僕は国立市の家へ帰った。 やがて僕は大学を卒業して、サラリーマンなった。仕事は、苦でも、楽でもなかった。単に、生きるためだった。 由貴子は僕の恋人になった。 仕事が終わると彼女とデートをした。 彼女は五月一日生まれ、僕は、五月九日。ほんの少し年上だった。 僕は、知っているレストラン全部に連れて行った。やがて、誕生日が来て、僕らは二十四歳になった。 ドライブもよく行った。御殿場インターで降りて、乙女峠の途中の空き地でキスをした。 二人とも、文学が好きだった。話題は尽きなかった。 「安部公房の『砂の女』は素晴らしいよ、僕もあんなの書けたらと思うよ」 「私も女心をテーマ書いてみようかしら」 僕らの交際は長く続いた。 彼女は電話が嫌いだった。電話をかけてくることはなかった。いつも僕から電話した。た。その代わり手紙をくれた。どの文章もうまかった。僕も手紙を書いた。 僕らはやがて二十五歳になった。 十月のことだった。僕は銀座のパブでプロポーズした。 「指輪を贈るけど、君は受け取るかい」 彼女は首を横に振った ……なぜだろう。 分からなかった。 一週間待つから考えてくれる?」 一週間後に会った。 「結婚なんて考えないで、ぽけっとしていたいわ」 ……なぜだろう。 分からなかった。 「じゃあ、君が別れると言うまで付き合うよ」 僕は彼女に約束した。 僕らの交際は、今まで通り続いた。 ある時、久しぶりに電話してみた。 「元気かい」 「いいえ、父が死んだの」 僕は驚いた。彼女はそんなことを一言も伝えてくれなかったからだ。 僕は、彼女を励まそうと会うことにした。 「父は心臓マヒだったの」 「なぜ僕に言わなかったの」 彼女は、うつ向いて黙っていた。 やがて大事件が起こった。丸の内にある三菱重工業のビルが爆破されたのだった。彼女は、そのすぐ近くに勤めていた。 僕は彼女の自宅に電話した。 「大丈夫かい」 「ええ、大丈夫よ。でも凄かったわ。ガラスの雨が降ったのよ」 今までにない、明るい声だった。彼女は話し続けた。話し終わると僕は、 「じゃあ、元気でね」 と言って、電話を切った。 僕は、リビングでビールを飲みながら考えた。 ……どうして、「元気でね」と言ったんだろう。 彼女が別れると言うまで、付き合うという約束を破ってしまったように思った。 僕は、二階に上かって自分の部屋に入り、彼女の手紙を破り始めた。涙がこぼれ出した。 ……これは、神様の責任だ。 そう、くり返しながら、 僕は彼女の手紙を破り続けた。
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