チラ・カッシー・ギャルズ
一時保育室でのお話です。 満2歳前の子たちの中に、見事におもちゃを散乱してくれる瞬間芸の芸達者たちがいます。 いずれそのような遊び方を皆それぞれのペースで卒業していくのですから、散らかし盛りのその先の彼女たちの育ちの展望に悲観はしないのですが・・・。 それでも、クラスの担当保育者は、その見事な散らかしぶりに時に溜息をついたり、あらかた片付けた保育室の反対側を振り向いた瞬間に腰から力が抜けたりするような光景を目にすることがあります。 私は去年は今とは別の保育室のスタッフをしていましたが、そこでも今のこの保育室でも決まって『ごんべがたねまきゃ、カラスがほじくる…』パフォーマーが毎年います。 ○○ちゃん△△ちゃんと□□ちゃんの老舗のメンバーに最近○ちゃんが新規参入しました。 数日前、○ちゃんのちらかしあそびを見ていたら、去年までの私の見え方感じ方と違う感想を持ちました。 ちらかしあそびの『旬』なんだ。この子の生涯の内で今が一番『旬』のちらかしあそびぶりの季節の時期に出合えているわが身の幸せ感を思えば、ため息もワクワク感に換わってきます。なんて新鮮。今年はたまたま女の子ばかり、『チラ・カッシー・ギャルズ』です。 ジィージ保育者はヘラヘラしています。
さて私は何故片づけをするのでしょう。 保育室の床一面に散乱したおもちゃ類の上を子どもたちがまたいでいくというのは、私の好みではありませんし、第一そのおもちゃにけつまづいたり、踏んでスッテンコロリンでは不慮のケガに発展しかねませんから、安全確保のためにも片付けます。 さてさて『安全確保のため』という受け身的な捉え以外の理由も考えてみます。 心置きなく存分に散らかせるように環境を整えてあげるという積極的な理由も成り立ちます。片付け行為にこうした積極的な捉え方も取り込んでいくと溜息や腰砕けも一味変わってきますから不思議です。 『チラ・カッシー・ギャルズ』のパフォーマンス、やるならおやんなさい、受けて立ちましょう。
一方見落としてならない状況があります。
♪オッカ・タズケ〜〜♪の歌で保育されて育った世代が現役の保育士になって保育している時代背景があります。
大変危機的な状況です。
自分の脳みそで目の前の状況(子どもたちがどのように遊んだ結果物なのか、どんな思いを内に秘めて遊んだのだろうかと彼らの内なる思いに胸ときめかせて共感しつつ、さらにその先、何をどのように伝えるのか探し出していく等…)を見・聞き・感じ取ることを放棄して無反省でこの歌を伝授しつつ保育を展開されてはまずいのです。
大いに警鐘を鳴らしています。
ところが警鐘を鳴らすについても、前提条件としてシグナルを送る側とシグナルを受け取る側とに『共通言語』をまず作り出さないとこちらの「意」が相手にまで届きません。そこからの作業が初めの一歩と見極めています。
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