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私が『朗読』を始めた理由、その動機やきっかけについてお話しします。
現在朗読を始めてから9年と2か月がたちました。いつでもどこでも練習できます。お金もかかりません。 あと一週間で52歳になろうという2005年の9月、ふっと考えてみました。『今から10年後の自分は何をしているだろうか?』…と思い巡らせてみました。私は当時も今も『ものづくり』を生業としているのですが、10年後までの間に老眼による視力の低下や加齢が進むことは予測に難くないことです。であれば今のペースでモノづくりをし続けられるとは思えない。ならば今まで思いもよらなかった何か新しいことを始めてみよう。 その時思いあたったキーワードが『朗読』でした。 10年間コツコツ地道に下積みの肉体訓練を積み上げればそれなりのレベルにまでは達せられやしまいか? 新たな自分自身を構築したい、そこから見えてくる世界はまた一つ別の展望を得られやしまいか。・・・そんなことをあれやこれや考え朗読を始めました。朗読用のテキストはデータを編集&割り付けをし使い勝手の良いものに「手作り」しています。 テキストは朗読のための「道具」です。道具は何より使い勝手がよくなくてはなりません。不備を感じたら編集しなおして新たに製本します。 私の場合実に有難いことに、幸いSNSを通じて『朗読』を志している多くの仲間と出会えました。その出会いが何よりの励みであり希望でありました。友達の友達はまた良き友達となり友達の輪が広がっていきつつあります。朗読は楽しいですよ。沢山の発見があります。その発見は自分自身の内面を一層豊かにし元気づけてくれます。 私の場合、カルチャースクールとか朗読教室といった類のところには敢えて足を向けませんでした。その担当の先生と自分との相性が良ければいいのですが、先生の考え方や好みによってはデメリットが大きい場合が多々あります。朗読はいろいろなスタイルがありいろいろな解釈が成り立ち受け入れられていく世界です。 自分の朗読を録音し、自画自賛に酔いしれることなく客観的に聴き直し研さんを深めていきます。自分の声の出具合が何よりの先生です。 またお金をかけて習い事をするという安直さは自分自身を甘やかしたりごまかしたりする素になりますので嫌いです。 『場数』という言葉がありますが、ともかく実践です。 時に仲間内での朗読の勉強会などの発表の場で朗読を深めました。発表の場に向けてはひたすら練習です。 人にお話しの内容が伝わるような朗読の域に達せられるまでには最低でも100回以上は読み込んで練習しないと形が見えてきません。『見えた』と思っていたものも繰り返し練習し続けていると『新たな見え方』や『まったく別の見え方』に出会えることもしばしばあります。その気付きを新たに得たときの喜びはたとえようもありません。 視点やアプローチを様々に仕切り直して、堂々巡りにならぬような自問自答が大切です。『複眼』でモノを見る心がけを大切にしています。 人生は自分探しの片道切符の旅にたとえられます。 趣味として『朗読』を始めてよかったなぁっと思うことがいろいろありますが、その筆頭は『朗読は自分探しの善きメソッド』です。 私の朗読作品は現在26作You Tubeにアップ中です。検索キーワードは『どんぽのばぶ』です。どんぽとは鈍い歩み(鈍歩)の意味です。ばぶは私のあだ名です。アフリカに生えているバオバブの木から2音採りました。 最近は『朗読』を通じての社会貢献の道とその可能性を積極的に探り、いろいろアクションを起こしています。 閲覧回数: 1838
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