昨日、大橋巨泉さんの訃報が報じられました。
彼の肩書といえばテレビ・ラジオ作家、ジャズ評論家、司会者、元参議院議員など数多くあります。私にとって一番印象深く、また初めて彼を知ったが、ラジオ関東で毎晩夜10時過ぎから放送された『昨日のつづき』です。
当初は、前田武彦と永六輔、富田恵子でやっていましたが、途中から永六輔に替わって、大橋巨泉、青島幸男、はかま満夫らが出演、時事ネタなど含め興味深い話題を10分間、フリートークする番組でした。中学2年(1961年ごろ)から聴き始め、番組終了(1971年)まで聞いていました。随分とませていたもんです。
ネットで、当時の音源を見つけましたので紹介します。
「今日の話は 昨日の続き 今日の続きは又あした 提供は参天製薬
声とアイデアは 前田武彦 大橋巨泉 それと私・・・」(声)富田恵子
そういえば、大橋巨泉とはゴルフ倶楽部が同じで、何度か一緒にプレーしたことがありましたが、気取らず、えばらず、サービス精神旺盛で、テレビの印象そのまんまでした。
ご冥福をお祈りします。
大橋巨泉さん逝く 引用元:朝日新聞 天声人語 2016.7.21.
それは「目隠しテスト」と呼ばれるクイズだった。ジャズの愛好家が持ち寄ったレコードをかけ、奏者などを当てる。若き大橋巨泉さんは「全身を耳にして」聴き入った。ジャズ評論家として出発するきっかけになったと、著書にある▼放送作家からテレビに出演する側へと転じた。1966年から司会者を務めた深夜番組「11PM」では、大人の遊びを積極的に取り上げた。マージャン、競馬、ゴルフは自分の趣味でもあった。遊びの達人として、高度成長以降の日本人に人生の楽しみ方を示した▼マルチタレントと言われた。司会だけでなく番組内容を練り、出演者選びにも関わった。クイズ番組で「宇宙人」と呼ばれた漫画家ら才能ある人たちを世に送り出した▼「愛国心」はない、でも「愛民心」ならある、と述べた。軍国少年として信じていた正義が敗戦で崩れた経験が、国家の正しさを疑わせた。一時は参院議員になり、少数意見を尊重すべきだと主張した▼多くを成し遂げながらも「今回の人生では○○しない」との言い回しを好んだ。人生は短いからあれこれ手を出さないのだと。多才であることの照れともとれる。あるいは多才を続けることのコツかもしれない▼2月、憧れであり続けた永六輔さんとテレビで共演した。「おれのこと、おい巨泉って言うのは今、永ちゃんしかいないんじゃないか」と寂しげだった。永さんの死去から5日後、巨泉さんは82歳で旅立った。昭和の文化を支えた巨人が、また一人去った。 |