おトイレで「もういいかい」「もうちょっと」 (後編)
子どもの生活にとって、最も大切に整えてあげたい分野の言葉に「快眠・快食・快便」という言葉があります。よくねむり、よくたべ、そしてよくひりだす。 美味しく作っていただいた給食を、みんなと一緒に美味しく食べたのですから、当然その結果物としてのうんちも美味しく始末(?)してあげたいものです。
今日保育中に実にみごとな快便に遭遇しました。排泄に関して久々の感動でした。 その子はおねえちゃんパンツでお昼寝していたのですが、たまたまおねしょして目覚めました。 「でちゃった」と自己申告してきましたので確かめますと上着も下着もぐっしょりでした。 濡れた着衣を全部脱がして、新たな着替えの衣類をピック・アップする暇にとりあえず、『もう一回出るかな』と便座に座っていてもらい間を繋ぎました。
するとほどなく『チョロチョロチョロ』っと優しい音色が聞こえましたから「おしっこ出たね、良かったね」と声掛けしますと「ウンコもでた」とさらなる自己申告。まさかの瞬間芸(?)、と半信半疑で便器の中をのぞきますと、『三三七拍子』ではなく『関東一本締め!』みたいな快便「よぉ~~~ぽん」でした。 二年間で三回くらいしかお目にかかれないなんともみごとな形状。感動の賞讃を送りました。
おむつの中にひりだして、それを感じないのか気にしないのか、自己申告もせずに遊んでいる時代があり、やがて、出たときにそのことを教える・伝える・知らせる段階に入ります。保育者にとっては『不快』な状態を取り除いて『快』な状態を整えて伝えてあげられるコントラストのきいたひと時ですからその『快』なるものをどこまでその子に伝えきれるのかという修練の場でもあります。
『ことば』で知らせる、または『表情』や『しぐさ』で示す、いずれは出る前に尿意なり便意なりをもよおしそれを感じ取って、おむつの中に出すのではなくて、便座に腰掛け用を足せるようになっていきます。 子どもが育っていくときに、いわゆる排泄の自律は、精神的な面でも親子ともどもに育ちを実感していける分野です。自己肯定観や自分への自信がより一層確かなものになっていくプロセスです。 「お兄ちゃんになったね」 「お姉ちゃんになったね」 「かっこいいね」「すてき」などこれらの賞讃は子どもにとって自尊心の礎の一つとなっていきます。
一方、たとえ、おもらししちゃっても、間に合わなくて漏れちゃったとしても、それを『失敗』などというスケールで見ないでください。いずれは自立していける分野なのです。その子に対してその局面に心の準備もなく出くわした時こそ『大人の対応』がどこまでできるかどうかが問われてもいるのです。 『子ども叱るな来た道だから、年寄り笑うな行く道だから』いつか故・永六輔さんがラジオで紹介していた言葉を思い出します。 決して「叱責」や「ぐち」や「小言」のネタにはしないで欲しいものです。叱責や小言は次の機会に向けての意欲や励みにはなりません。かえって自立の道のりを遠くするだけです。 「次は上手くやるぞ。リベンジだ」と決意を固めている乳児にはお目にかかったことがありません。 這えば立て、立てば歩めの親心。おトイレで「もういいかい」「もうちょっと」は保育者としての未熟を実感しつつ自らにかけている励ましの言葉でもあるのです。
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