能力の衰えが教えてくれたこと
スマホの蓄電能力の衰えと自分自身の加齢からくる衰えから学んだこと
昨年の6月に携帯電話をガラケイからスマホに変えました。 当初その利便性に小躍りして(?)いろいろ面白がって使ってみました。 とはいってもこのスマホの機種が持ち合わせている多機能のあらかたを使いこなせているわけではなく、それまでつかっていたガラケイでできなかったプラスアルファ―を楽しんできました。 購入してから満一年が過ぎ、今年の夏が過ぎ、スマホの蓄電能力が日増しにガクンと落ちてきました。焦りました。とてつもない不安に駆られました。 蓄電池の蓄電能力が落ちていく背景として、スマホというのは電源を入れたままだと未使用の裏側でいろいろ電気を消耗している機械なのだということを知りました。考えてみればもったいない話です。 そこで暫く使わないという時間帯には電源そのものを切ることにしました。 使おうとするときに起動するまで20秒ほど待つことになるのですが、そのこと自体を『わずらわしい』行為と思わないように腹をくくりました。 ショップと購入した家電量販店の窓口にそれぞれ行きスマホの近況を伝え相談しました。 たまたまショップで対応してくれた人はマニュアルに書いてある内容の範囲の対応を丁寧にしてくれるのですが、個別私の心情に沿った質疑応答ではありませんでした。 そこでこのスマホを購入した量販店に行くとたまたま先の対応で満たされなかった私の不安や心配事に沿って具体的に事例を挙げて解説とアドバイスをもらえました。ちょっぴり勇気づけられました。 この九月で齢を一つ重ねました。蓄電能力の低下しつつあるスマホと自分自身がオーバーラップしてきました。そしていま私は思っています。 一日一日をもっと丁寧に生きよう。丁寧に呼吸しよう。丁寧に歩こう。睡眠のほうは相変わらず浅めで熟睡できてはいませんが、ともかく熟睡は難しくても『永眠』だけはしないようにと喚起しています。
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