(声)優先席に座る健常者の皆様へ 引用元:朝日新聞 2016.10.14.
非常勤国家公務員 嶋貫養子(東京都 52)
私は毎日、電車に乗る。脳性まひで足が不自由なのでヘルプマークをつけて、シルバーシートの前に立つ。そうするのは、席を譲ってほしいからではない。動作がもたもたしていて周囲に迷惑をかけることを知っているから。少し配慮をしてもらえる場所を選ぼうという私なりの気配りだ。
しかし、私がシルバーシートの前に立つと、席に座っている人はたいてい寝る。私は思う。私は拒否された。認められていない。そして悲しい気持ちになる。
私が前に立った途端に寝る人は、障害者を差し置いて優先席に座っている後ろめたさから「寝る」のだろう。私はこう思う。「席を譲らない選択をしたのなら、その選択に責任をもって、堂々と顔をあげていて。私を見なかったことにはしないで」と。
思えば、常にこんなことの繰り返しだった。正々堂々と対応してもらえず、じわじわと、さりげなく拒否される。社会の中で、一人の人間としていつでもどこでも認められる日なんて、きっと来ないのだろう。こんな体で生まれてくるなら、生まれてきたくなかった。理不尽な扱いを受けるこんな人生、早く終わりたい。 |
89才になる母が最近めっきり足腰が弱り、外出する時は車に車椅子を載せて出かけます。
そこで感じることは、弱者への配慮がない人が一部にいることです。
混んでいる、もしくは利便性が良いからか、車椅子専用の駐車スペースを占領する。車椅子・ベビーカー優先のエレベーターにさっさと乗り込みスペースを空ける配慮もせず、むしろ乗ってくることが迷惑だとばかりな顔をする。もちろん、ごくごく一部の人なのですが。
それでも今までは、しょうがないな程度で、さほど気にも留めませんでした。しかし間接的にでも弱者の立場になると、駐車場の場合ドアを広く開けるスペースがないと車椅子への移動が非常に困難なのです。健常者にはエレベーター以外にエスカレーター、階段と選択肢がありますが車椅子にはありません。少しでも相手の状況を考えれば分かりそうなものなんですが。
この新聞の投稿記事のような光景は最近よく見かけます。世の中全体、余裕が無くなっているのか、新自由主義の履き違いか、モラルの低下は否めません。