10/14~16 支援活動に行ってきました。 ~その2~
復興支援活動をしている場所や人々と、支援活動している人の支援をしに10/14~16と2泊3日、宮城県気仙沼市、岩手県山田町、福島県福島市、東京武蔵野市と5か所行ってきました。
岩手県下閉伊郡山田町・・・岩手県の沿岸部、海に向かってギザギザとリアス式海岸が続く地形の中で、この山田湾だけは海に向かって開口部が狭く奥に向かって広いという「トックリ型(壺型)をしている地形」が湾の特徴です。 それゆえに湾の内側は平素であれば波の静かな湖のような海なのです。それゆえにこうした立地条件の為、津波による被害は周辺海岸と比較してやや緩やかであったと聞きます。 ここには3/11の震災の翌年から単身現地に入って「街づくり計画」のコンサルタントを続けている私の古い友人のG氏がいます。彼は私より1歳年上で、知り合って以来約35年の付き合いです。 彼との再会は一年ぶり。じっくり歓談しながら前回会った時から今回までの仕事の進捗状況や現段階で抱えている様々な困難などいろいろ話を聞きました。 彼は「自分にとってこの仕事がおそらく最後の仕事になるだろう」と語っていました。自らの仕事への肝の据わった彼の姿勢は実に凛としていて、仕事に対する気魄を痛切に感じさせられました。 私の好きな言葉の中に『仕事がその人間の顔を創る』という言葉があります。 彼の場合も全く同じで、大きな課題に向かって精進している人に共通の気配や雰囲気、ちょっと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、何というかある種の神々しいものを感じさせられました。 それならば、私自身は最後になるかもしれない今の自分の仕事に対してどれほどの自覚や決断をもって日々実践しているだろうか?仕事を推し進める上で何が肝心なのか、困難を乗り越えていくときには何が力の源となるのか、彼と歓談していると様々なことを自問自答させてくれる逸材です。 『街の復興』と言葉で言うのでさえも決して簡単なことではありませんがそれを現実に具体化していこうとしている彼や彼とつながる多くの人たちの苦労や努力のことをずっと応援していきたいと改めて思いました。
翌朝10/15 友人宅の一室を借りて持参したパーテーションのパネルを3枚連結し組み上げを完成させ、かねてより訪問をお伝えしていた山田町の大沢地区にあるO保育園を訪問しました。 こちらの保育園に訪問するのは3回目です。今回は特製のパーテーションをお土産に持っていきました。乳児だけでなく幼児さんも使えるような大きなパーテーションです。 園に到着すると、ちょうどお遊戯(体操)の最中でした。 一緒に混ぜてもらってテンポの速い体操(踊り?)を見よう見真似でしどろもどろの初体験です。 一区切りついたところで居合わせた主任さんから了解をもらい急遽飛び入りの『ばぶさんタイム』をさせてもらい歌や手あそびを一緒にしました。 ・「ごひきのこぶたがオオカミをやっつけたお話(自作)」 ・やまごやいっけん(外国の手あそび歌) ・たまごがわれた(作者不明) ・やさいのうた(作者不明) ・おてらのおしょうさんが・・・(わらべ歌ベースの現代版) ・ぐーぱー、ぐーぱー、グ~~~パー(自作) 他 子どもたちから「もっともっと」のアンコールもありましたが、すでにお給食を食べる時間に食い込んでいましたので八文目の処できりあげることになりました。 子どもたちが食事をしている間に、ここでも気仙沼の保育園の訪問の時と同じように事務室をお借りして乳児クラスの部屋用にモビールを一組制作しプレゼントしました。
後で判ったことでしたが、この日職員の中にたまたま保育実習の学生さんが二人混じっていました。実習期間のまん中でした。『ばぶさんタイム』の手あそびの時にやたら目を輝かして食いついてくる職員がいるなぁと好感を持ってみていましたが、この二人はこの保育園の卒園生なのだそうで、主任も園長もかつて彼女たちを担任したことがあったそうです。 卒業後に就職する先は既に他の施設に決まっていて、こちらの保育園の職員にはならないのだそうです。 ま、ともかく、この日の実習が終わってそれぞれ帰宅という頃、多少時間にゆとりがあるというので二人の実習生に反復練習を含めたスペシャルの実技講座と保育を展開していく上で是非大切にしてほしいことなどを少々レクチャーしました。 出会いの記念に『ばぶバッチ』の中から自分の気に入ったものを選んでもらいプレゼントしました。
|