まるで寿辞のように「ていねいに(丁寧に)…」と唱えながら
9月で63歳になりました。そして約二か月が経ちふっと気づいてみるとおでこ(額)の生え際がかなり後退しているじゃありませんか。禿げつつあるのでしょうが、ここはひとまず、おでこが広がりつつあると申しておきましょう。 今まで生きてきた年数とこれから先、生きていけるかもしれない年数とでは圧倒的にこっから先のほうが短いのです。だったら一回一回を貪欲に味わわないともったいないです。このような意識が芽生えた数年前からの事ではありますけれども、気にかけているキーワードの一つに「丁寧に暮らす」というのがあります。 ここ数日「丁寧に(ていねいに)」という言葉を唱えながら諸動作をし始めています。 例えばこんな風にです。 ていねいにとつぶやきながら丁寧に水道栓を開きていねいにとつぶやきながら顔を洗い、ていねいにとつぶやきながら水道栓を閉め、ていねいにとつぶやきながら栓がしまっているか確かめ・・・。 すると不思議なことが起こり始めました。動作のガサツさやそそっかしさが減りました。 コーヒー豆を丁寧にミルで挽き、沸騰したお湯をすぐ注がずに、今までのやり方よりもひと手間増やして白湯をサーバーに移しまたヤカンに戻し、そしてていねいにコーヒーの粉にお湯をわずかずつ垂らしたらしゆっくりコーヒー豆の粉を蒸らす、といった具合です。お湯を吸い込んで膨らむコーヒー豆の粉のお饅頭の形の美しさ。細くゆっくりお湯を注ぎ珈琲を抽出する。柔らかな味に入ったコーヒー。ああ、今まで何と無造作にガサツに珈琲をドリップしていたのだろう。
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