君島邦雄(2年7組、3年4組)くんから、今朝の毎日新聞に載った堀越くんの記事が送られてきましたので、紹介します。
それにしても、朝日新聞・読売新聞・日経新聞それに毎日新聞と多くのメディアに取り上げられ、生前の彼の活躍が偲ばれます。
豪快にして多彩多臓器不全のため10月31日死去 67歳(2016.12.19. 毎日新聞)
こんなでかい声で笑う人に出会ったことはない。口を大きく開け豪快な笑いぶり……堀越千秋さんのことだ。
彼と初めて会ったのは1991年マドリード。某テレビ局の「スペインで活躍している日本人と会う」といった番組だった。約束の時間にテレビクルーと一緒に彼のアトリエに行くと、彼は不在、ドアの鍵がかかっていなかった。
壁に無造作にかかっている絵のブルーがとても印象的だった。われわれが絵解きをしていると、ドアから彼の笑い声が飛ぴ込んできた。収録が終わり、近くのフラメンコ・カンテ(唄)のライブに直行。
たった一人の老カンタオール(歌い手)に、これほど多くの聴衆が酔いしれるとは、まったく驚いた次第。
堀越さんは日本とスペインで交互に仕事をしていた。絵を描き、エッセー集を出し、陶器を焼き、そして極め付きは東京都内のタブラオでカンテのライブ出演。私も何回か聴きにいったが、ずばりプロだった。彼はスペインですでにCDを何枚かリリースしていた。それに、真偽のほどはともかく、この声量でマドリードのラジオ局のマイクロホンを壊してしまったという武勇伝(?)の持ち主だそうだ。
私との仕事では、私が編集したスペイン関係書に彼が執筆してくれた。2005年福岡市での「ドンーキホーテ」出版400年記念パネルディスカッションで同席したが、途中で突然、司会者から『カンテを』とうながされて、「エー、もう少しこちらにおられる先生方とインテリジェンスあふれる会話をした後にと思いましたが」と言って、ステージの真ん中に立ち、十八番(オハコ)のカンテ〈ソレア〉を披露した。その後しばらくの間、会場全体が水を打ったように静かになった。
(法政大学名誉教授・川成洋)