故 堀越千秋くんが読売新聞に紹介されていました。彼の人となりを彷彿とさせる記事でしたので、ここに掲載します。
時の余白に「うたげの人マドリードに逝く」
編集委員 芥川喜好 読売新聞 2016年12月24日
生きているうちは名を馳せても、死とともに忘れられていく人は少なくありません。むしろそれが普通かもしれない。
まれには、死後に真価があらわれる人もいます。自分を売りこんだり大きく見せたりすることに興味のない、慎み深い人だったのでしょう。
棺を蓋いて事定まる、と昔の詩人は言いました。生身の人間の評価は難しい。自分で自分を持ち上げる人間がいる。自分の評価に興味のない人間もいる。
時の経過に任せるしかない。千二百年前の詩の言葉は、今も人間の現実を突いています。
年末近く、自分と同い年の一人の死がこれほど身にこたえるとは、思いもしませんでした。
彼こそ「躍動する生」そのもののような人だったのです。
本紙の読者なら、堀越千秋というスペイン在住の画家の名をご記憶かもしれません。当方、三十年の間に何度も自分の連載で取り上げ、文化欄に文章をもらい、絵と文の日曜版連載「赤土色のスペイン」は、二年の間読者を熱狂させました。
夕刊でも絵と文の自伝を二年、文字がテーマの絵を五年、連載してもらいました。絵も文たちどころ、けた外れの才能と行動力の人でした。
でした、と過去形で書かねばならぬのが無念です。十月三十一日、彼はマドリードの病院で、数日後には六十八歳になる生涯を閉じました。
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堀越千秋は、日本の美術を底のところで面白くしてきた非定住派(すなわち放浪)画家の、正系につらなる傑物です。
敗戦から三年、東京のど真ん中に生まれてみたら、父はシベリア帰りの油絵かき、祖父も日本画の絵かきだった。自ら絵を描くことを運命づけられた環境に耐え、東京芸大油絵科の大学院を出るとスペイン政府給費生となってさっさと日本を離れ、マドリードに住みつきます。
芸大時代、彼は美術の動向や他人の作品には関心を示さず、美術解剖学を講じる三木成夫の思想に強い影響を受けます。人間一個の存在の内に三十数億年の生命の記憶を、そのリズムを、その孤独を、探り出していく感覚を三木の「生命形態学」から受けとったのです。
小学一年の時の記憶を、彼は本紙に語っています。夏休み、母親に言われて学校のプールに嫌々出かけたら、一年生は自分一人だった。家に帰ってふくれていると、「ほう、それは偉い。たった一人、というのが偉いんだ」と父親が言いました。
「たった一人――霧が晴れたように、ぼくの中にひとつの音楽が流れ出した。それは今もなっている」と。
宇宙の中にただ独り。それを全身で感じていたから、誰とでも隔てなく接し、いつも人なつこく豪快に笑っていたのです。
彼とはいろいろな温泉を巡りました。秋田の玉川温泉につかっていた時、真っ赤になった自分の胸を推して「絵ってのはね、ここで描くもんです。世界はそこにある。おれはここにいる。そのぶつかった印が紙の上に出る。そこに現れるものに自分で驚き、心を躍らすんです」と語ったせりふを忘れません。
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年に何度か帰国して埼玉山中の古い借家で描き、窯を築いて焼き物を作ります。各地で個展を開き、ファンと交わり、フラメンコの唄で喝采を浴びます。
行く先々に人は集まった。すべては祭りであり、うたげだった。あの蕪村も玉堂も、移動する先々が知己の集う文芸や書画や音楽の場となった。人の世の濃い時間が流れていた。堀越千秋の「正系」たるゆえんです。
当然ながら自分の評価のためには何もしなかった。作品もほとんど散逸に近い状態です。
彼の世界は具象も抽象も含め色彩豊かですが、基本は躍動する線、瞬発力にみちた線です。
福岡の展覧会場で、巨大な壁画にわずか九分で墨線画を描ききる姿を見たことがあります。
漢画を思わせる健剛な線、女体を描く繊細にして官能的な線。天性の表現力をあらわす速度のうちに、「人間が絵を描く」ことの始まりを見るような新鮮さがありました。
ちょうど一年前、堀越さんは末期のがんで余命半年を告げられますが、治療は断り自然食と平常心で日々を過ごします。
虫の知らせか、数年前から画集を作ることには熱意を示し、小学館版武満徹全集で装画を描いた時の編集長大原哲夫氏(69)に託していました。すでに作業は始まり、大作七十点が新潟県内で見つかるなど発見が続いています。ネットを通じて募集中の基金も、現時点で賛同者二百数十人に達しました。
「この広がりは驚きです。追跡は大変ですが、放浪派の巨匠だし、人間がきれいでしたからね、何とか足跡を明らかにしたい」と大原さんは言います。
「早死にというより、エネルギーを惜しみなく使って、使い切ったということ。寿命を目いっぱいに生きた。我々の前では信じ難いほどにこやかだった。彼の美意識です、この潔さは」と語るのは、最も古い友人だった詩人小川英晴さん(65)です。
棺を蓋ってのち、定まってくるものがあるはずです。
「赤土色のスペイン」
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