皆様
11月19日の日経夕刊、¨明日への話¨熊本への思いから¨と題しての欄の中に、オリンピックより前に考えるべきことが沢山あると結んでおります。
本20日の朝日朝刊に「反東京オリンピック宣言」と題する本の紹介があります。「オリンピックの裏で[フクシマ」が忘却されようとしていることを告発する本書の論文からは、パトリオティズム(愛国心)が感じられる」と述べられております。
このように国民の良識が漸く表面化しつつあり、大手メディアも取り上げざるを得なくなったことは誠に心強いことです。
反東京オリンピック宣言 [編]小笠原博毅、山本敦久 引用元:朝日新聞書評 2016.11.20.
大衆が台頭した19世紀のイギリスで、J・S・ミルは「世論の圧制」を打破するため、「人々が普通でないということこそむしろ望ましい」と述べた。だが同時に「今や敢(あ)えて奇矯ならんとする者が極めて稀(ま)れであるということは、現代の主たる危険を示すものである」とも述べている。 ミルの指摘は、いまの日本にそっくり当てはまる。2020年の東京オリンピック開催にどれほど問題が起ころうが、開催の返上や中止を訴える声はあまり聞こえてこない。そう思っていた矢先に本書が出た。論者によって力点は異なるにせよ、オリンピックが政治と結び付き、ナショナリズムの高揚をもたらすことに、多くの論者が問題の核心を見いだしている。 では「非国民」の書かと言われれば決してそうではない。オリンピックの裏で「フクシマ」が忘却されようとしていることを告発する本書の論文からは、パトリオティズム(愛国心)が感じられるからだ。
[評者]原武史(放送大学教授・政治思想史) |