「育つ」ということ
保育園の1歳児クラスの子どもと2歳児クラスの子どもに該当する子供たちが混在しています。 1~2歳児の縦割り仲間です。 一日当たりの保育室の定員は10名が上限です。 曜日によって登園するメンバーが異なります。 その分少々ややこしい面もありますが一方極めて面白い保育です。 3月末日で『年度』が変わりましたが、この一年(平成28年度)ここの保育に関わってきて私なりに学んだこと気づかされたこと大切にしてきたことを綴ってみます。 2歳のお誕生日を迎えたお子さんと、3歳のお誕生日を迎えたお子さん、この一年の成長の差は実に大きいですね。とはいえどちらもまだまだ自己中のど真ん中、力技の「独り占め」も「横取り」もあります。 取った・とられたで泣き声も出ます。 泣くときは一生懸命泣きます。泣き声が長い時にはそのお子さんの泣き声の隙間に「○ちゃん、まーるちゃん、も―いいかい?」と声をかけます。 泣くのに一生懸命でこちら(保育士)の言葉が届かないときにはそのお子さんにセリフを伝授します。 「○ちゃん『もうイーかい?』って訊くから『まーだだよ』って返事して、じゃあ行くよ。○ちゃん、まーるちゃんもう・・・」たいていの子は泣きの途中で「まーだだあよ」などと返事してくれて、また続きで泣きます。 このやり取りを二度三度していくと、そのうちに気が晴れるのか気が紛れるのか、別のことに関心が向かうのか泣き止みます。 要は泣きたいランナーの思いを受け止めて気が晴れるなり気が済むところまで伴走するのです。 泣かないでもいいところまで(納得いくところまで)見守ります。 もっと泣きたいという心持のありかを大切にします。
彼らなりに経験智を積み上げつつありますから、自分とその周りのお友達との力関係や立ち位置や、交渉力、駆け引き力、などなどの学びには目覚めしいものがあります。 自分なりの小さな部分的な正義(認識・世界像)ゆえの周囲への働きかけのドラマが展開されています。 時にはお互いの気持ちのボタンのかけ違いだったり、それぞれの思い込みゆえの温度差などですれ違ったりこんがらかったりします。 互いの心持のありかを相手のお子さんに通訳してあげるなり、もしくは「○ちゃんも使いたいけど△ちゃんもつかいたいんだって」「だめー」この時ダメ―といえることも大事にします。そして、「今使っているけど終わったら『おわったよぉ』って△ちゃんに貸してあげてね」「△ちゃん○ちゃん後で『おわったよぉ』って貸してくれるから待っててね」今すぐ使えないにしてもちょっと先の未来に展望を持たしてあげます。 まず独り占めであそんで気が済んだら大概は「はい、かしてあげる」って渡してくれます。 このタイミングで大事にしてきた言葉は「△ちゃん、○ちゃんに『ありがとう』って」とことばをうながします。 相手から『ありがとう』って言われて嫌な心持になるお子さんはいません。 大人も同じですね。ありがとうの言葉に対して「どういたしまして」などと返事できるのは3歳児です。 2歳児はそのリアクションをその子なりに感じ取っているようです。 互いの主張がぶつかり合う喧嘩など『ややこしい謎解きの場面』に対処するには、例えをあげて言いますと、「電子辞書」でデジタルに模範解答を導きだそうという考え方や手法よりも、ちょっと分厚くて携行するには不向きな位の「紙の辞書」でページをめくって求めたい答えをじわじわと見出していくアナログな、一見めんどうくさいプロセスをあえて取り込もうという考え方や手法の中に、深い子供理解のヒントが沢山あります。 このとき関わる大人が複数担任であれば『複眼』で互いのきづきを職員間で伝え合うことがとても有効です。ここが薄くなると淋しい職場になります。状況によってはネグレクト(?)かといぶかしくなります。 まだまだ物の扱いが粗雑で稚拙ですからおもちゃやかぐやゆうぐがこわれます。治せるものは子どもの目の前で治すところを見せます。わざと壊したにしても、わざとじゃなく壊れちゃったにしても、「壊れたものは直せる」「壊れたら直して使える」という世界観を伝えてきました。自分で治せないときには大人に「なおしてぇ」と訴えてくれるような信頼関係を大事にしてきました。
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