久我 林三 先生
・「さぞ現職中は波あり谷ありの人生で大変でございましたでしょう。これからは、地域にかえり、自然にかえり、子供にかえってゆったりとした人生を楽しんでください。」椿山荘で開かれた公立校退職教員慰労会での東京都女性副知事のおことばでした。 ・ 副知事の前段はさておき後段は真面目に実行しております。でも4日間学校で理科を教え、合問に水泳クラブを指導しているとけっこう亡しく退職したんだという実感がわきにくいものですね。 ・ 東京都水泳巡盟の仕事や、同環境保全局で縁の推進なども手伝っております。新しくできた都立辰巳国際水泳場に教えにいったり、奥多摩や雲取山の自然案内等もしました。 ・ 中野十中1年?組。落ちついたよいクラスでした。学級委員をはじめ各リーダーが仲よく学級生活をおくっていました。ただけが人がやたらに多く病院へ何回もいきました。これ以外はほんわかとした楽しい思い出が甦りますっ3年への送別の劇では絶賛を浴びました。 ・ 3年H組。3年生11クラス。これだけ大勢それぞれの進路選択をし各自の自己実現が図れるのか。でも進路の結果は予想外によかったっけ。 ・ 先日、私の還暦のお祝い、妻までよんでいただき本当にありがとう。成人した姿よし、昔話また楽し。よく卒業後も集まるクラスだ。 ・ 個性あふれる集団だった。柔道に陸上に、こういうことは俄然存在感を示した。 ・ A子は家庭の事情で夜、歌舞伎町の近くではたらいていた。やっとさがしあてたら、真面目に皿洗いしていた。多少こわい気がした夜だったが。女子の皆が協力して標準服を調達し無事卒業していった。 ・ 皆の卒業と共に私も結婚した。 ・ 先生方も燃えていた。午後5時頃から燃えだす先生もいて、つきあいもへばったがいろいろなことも学習した。パチンコ玉の景品の処理方法まで。 ・ 上高地でのテント生活。貧しかったけど、心は一つでした。白馬、赤倉、蔵王と滑りまくりました。粗末な宿で、まずい食事で、でも雪のシーズン中は全てを忘れてね。新学期のエネルギー充電のために。 ・ 黄昏、人生の全てが凝縮する時中野十中での数年間が光り輝くのです。書き残したあの学年あのクラスとの生活。縁あらべせめてもう一度語り会える日を。
(開校四十周年記念誌より)
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