虔十公園林・考 ③虔十という人とかつて学園で出会った人たちと
ちょっと昔になりますが数年間でしたが、横浜市立の成人の知的障碍者生活介護型施設で木工クラスのインストラクターとして学園生の木工制作のお手伝いをした時期があります。 活動が『作業』とならぬように工夫をいろいろ試みました。 活動内容が単調にならないように制作の工程に変化を用意しました。 例えば杉板を糸鋸盤で切り抜く活動の次の工程に耐火ボードのかけらを数か所点在した状態でテーブルコンロ用のガスボンベのバーナーで杉板全体を広く焼くと焦げているところと焦げてないところのある白黒の焼き板が完成します。 パンダや猫や牛の形に切り抜いてこの焼き焦がしをすると面白い白黒模様の動物に仕上がります。 喜怒哀楽がストレートですから完成直後のワクワク感を大事にしました。 木工クラスの学園生さんたちは一人一人さまざまで、いつでもにこにこしている人もあれば、不機嫌を絵に描いたような不愛想な人もあれば、その日その時で気分の浮き沈みの振れ幅が実に極端に大きい人もいました。 嬉しいこと楽しいことに対して敏感で率直で感覚的反応でした。
虔十さんのお話の中で嬉しいこと楽しいことに対してそのまんま自分を表現する虔十さんの行動はかつて学園生の木工クラスで関わった人たちの印象とダブるところがありました。 例えばこんなところがそうです。
『…雨の中の青い藪を見ては、喜んで目をパチパチさせ、青空をどこまでもかけてゆく鷹を見つけては、跳ね上がって手を叩いて、みんなに知らせました。…』 『…風がどうと吹いて、ブナの葉がチラチラ光るときなどは、虔十はもう、嬉しくてうてしくて、ひとりでに笑えて仕方ないのを…』 『…虔十は、まるで喜んで、すぐにまっすぐに、家のほうへ走りました。そして納屋から唐鍬を持ち出して、ぽくりぽくりと芝を起こして、杉苗を植える穴を掘り始めました。』 『次の日、空はよく晴れて山の雪は真っ白に光り、ひばりは高くたかく昇って、チーチクチーチクやりました。そして虔十は、まるでこらえきれないように、にこにこ笑って、…』 一人の百姓が冗談に言った「枝打ち」の話を聞いて山刀で 『…片っ端から、パチパチ杉の下枝を払い始めました。…』 それも700本全部の杉の樹の下枝を払い落したのでしょう。これって相当な量ですよ。軽トラックの荷台に積み上げたとしたら一体何台分の量になるでしょうね。 『…学校帰りの子どもらが50人も集まって、一列になって、歩調を揃えて、その杉の樹の間を行進している…(中略)…虔十も喜んで、杉のこっちに隠れながら、口を大きく開いて、ハアハア笑いました。』 見聞きして面白いと感じたら「ひとりでに笑えて仕方ない」のであり、願いが叶ったと解ると、もう即やってみたい人で、こらえ性がなく行動にでます。そうせずにはいられないのです。自然人なのでしょうね。私たちが皆、本来持っていて成長の過程でいつの間にか忘れかけている姿なのかもしれません。
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