虔十公園林・考 ④虔十さんの「縄の帯」と私の勝手な想像
このお話しの冒頭です。
『虔十はいつも縄の帯を締めて、笑って、森の中や畑の間をゆっくりと歩いているのでした。』
冒頭の文の中の「いつも」も「笑って」も多分そのようであったんだろうなと想像が付きますが、それにしても、何故「縄の帯」なのでしょう?
クイズの答えを考え出すように皆さんもそれぞれにこの問いに御自分なりの解釈を添えてみてください。
ここからは私流の解釈を添えてみます。 実はこの縄はある付加価値のついた特別な縄なのです。 ある日、虔十さんのお父さんが縄を綯(な)っているところに出合いました。 その前日、お父さんが藁を木槌で叩いて繊維を柔らかくしている作業に出合い「面白そう」「何をしているんだろう」「どうしてそんなことしているの?」と興味をそそられました。 「どうして?」「なぜ?」の質問が次々跳び出します。幼児にもある時期集中してどうして?、何故?、なんで?、の連発の時代があります。 お父さんはそれらの一つ一つの質問にどのように答えを返していたでしょうね。
そして次の日です。昨日の藁(植物)を数本束ね、手のひらで縒りお父さんの手のひらからは一本の縄が生まれ出てきます。まるで手品です。実に不思議です。 虔十さんは目をキラキラとさせて注目していたでしょう。
そして自分もやりたい、やってみたいといったことでしょう。幼児も「じぶんで」「やりたい、やりたい」とせがみまくる時期があります。虔十さんはもう13歳くらいになっていたでしょうからやたらなせがみ方は慎んでいたことでしょう。幼児さんよりはちょっとお兄さんです。
お父さんから「縄綯(なわない)」縄の綯い方を教わります。両のてのひらで均等の力をコントロールして綯い続けるのは結構難易度の高い作業です。そして根気よく綯い通しました。一本の「縄」を縒り上げ完成しました。生まれて初めて自分で縒った処女作の縄です。
興奮しまくりで「できたぁ」「みてみて」と連呼します。 お父さんはその縄を虔十の腰にベルトのように結んでくれました。 大いに気に入りました。だから虔十はいつも縄の帯を締めていたのです。
もう一年以上もこの縄の帯を毎日飽きずに締め続けて暮らしているのですから田打ちをしていた家の人たちのところに走ってきて『700本の杉を植えたい』といってきたときにはきっとテカテカと艶やかな光沢を持った上品な縄の帯だったことでしょう。
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