虔十公園林・考 ⑤虔十さんちの裏の野原
『…さて、虔十の家の後ろに、丁度大きな運動場ぐらいの野原が、まだ畑にならないで、残っていました。』 どんな野原なのでしょうか?広さはだいたいわかりました。 家というものは条件さえ許されれば南向きに建てられているものです。その裏にあるのですからとりあえずこの裏の野原も南向きと想定しましょう。その野原の北側には平二の畑があります。 『…おまけに杉は、とにかく南からくる強い風を防いでいるのでした。』とありまあす。 ということは南からくる風の吹き抜ける場所であろうと思います。それも強い風とありますから風当たりの強い場所のようです。 その野原は『…まだ畑にならないで…』とあります。何故畑にならないで野原のままだったのでしょうか?『…あんなところに杉など育つはずものでもない、そこは堅い粘土なんだ…』植物を育てるには不向きな土質のようです。この野原に虔十は杉を700本植えました。愚行だとみんなから非難されましたが、それは全くその通りで、 『…杉は5年までは、緑色の心がまっすぐに空のほうへ伸びていきましたが、もうそれからは、だんだん頭が丸く変わって、7年目も8年目もやっぱり丈が9尺(約2.7m)ぐらいでした。』この野原ではそれ以上にはあまりよく育たない環境でした。 杉という樹木は環境さえよければ巨木で50メートル程にも成長します。材は建築・器具など用途が広くわが国で最重要の林業樹種です。
ある日一人のお百姓が冗談で杉の樹の下枝を「枝打ち」しないのかと虔十に問いました。山刀を使って下のほうの枝を落とすのだという説明に虔十は心躍らせて『…片っぱしから、パチパチ杉の下枝を払い始めました。(中略)夕方になったときは、どの木も上のほうの枝をただ3~4本ぐらいずつ残して後はすっかり払いおと…』してしまいました。
枝打ちとは木の下の方にある枝を刈り取る作業です。何の為にするのかというと、これは、普通は、杉の木を真っ直ぐに成長させるためと、板にした時に節ができないようにする為に行なうものです。 枝打ちされた杉の樹にしてみればその分太陽からの栄養を取り込めなくなるのですから、ただでさえ成長しづらい土地に植えられた杉の樹たちの成長はさらに鈍化することになります。 夢中で枝打ちし終えた虔十はあらためて自分の杉林を見て、あんまりがらんとしてしまった林に心痛めます。みすぼらしくなってしまった杉林ですが、人生どこで何が良いほうに転換するものだか判りません。 次の日から学校帰りの子どもたちがこの林に来て毎日まいにちあそび出しました。 どんな遊びをやったでしょうか? 兵隊ごっこ、行進あそび、かくれんぼ、靴隠しオニ、木つかまりオニ、陣取り合戦、 タースケオニ、ターザンごっこ、めいろあそび、等々、子供たちの遊び心はとめどなく楽しいあそびを創り出していったことでしょう。
虔十の杉林の北隣利の畑の主の平二は自分の畑が日陰になるから杉の樹を『伐れ』と迫ります。日陰になるといったって『杉の影がたかで5寸(約15㎝)も入ってはいなかった』のです。 そして私がこのお話の中で一番好きな名場面へと突入します。 『「伐れ、伐れ、伐らなぃが」 「きらない。」 虔十が、顔を上げて少し怖そうに言いました。 その唇は、今にも泣き出しそうに、ひきつっていました。 実にこれが、虔十の一生の間のたった一つの、人に対する逆いの言葉だったのです。』 このいさかいの半年後、虔十も平二もチブスで死にます。
お話しはずんずん進み、村には鉄道がとおり、大きな瀬戸物工場や製糸場が次つぎたち、畑や田んぼはつぶれて家が立ちという具合に大きく様代わりをし、かつての村はいつしかすっかり町へと変貌します。 『その中に虔十の林だけは、どういう訳かそのまま残っておりました。』 何故でしょう?家族の人とりわけ虔十のお父さんが強く反対したことも大きな理由の一つでしょう。企業が買収に乗り出すほどの資産価値のない空間でもあったことでしょう。ある価値観や評価のスケールで見たら取りこぼされていくような空間であっても、視点を変えて捉え返してみれば子供たちの成長にとってこの上ない遊び空間でもあったのです。 子供たちの成長を見る視点もこのような側面を忘れたくないものです。 『その杉もやっと一丈(約3m)くらい、子供らは毎日毎日集まりました。』 虔十のお父さんの髪が真っ白に変わり、20数年たっても丈が約3メートル程の林です。 どれほど子供たちにとってあそびやすい好都合な空間だったことでしょう。 これがもし、土壌がよくて、杉がどんどん成長して高さが20メートルくらいの杉になっていて薄暗い林になっていたら、あれほどまでに子供たちが連日あそびほうけた空間にはならなかったでしょう。 20数年という時間の長さは、小学校6年間ですから3代から4代くらいの小学生が全とっかえで入れ替わって連綿とあそばれ続けていたということになります。かつて少年時代にこの林の中であそんでいたというアメリカ帰りの大学教授がこの林の変わらぬたたずまいに大きな感動を覚えるのも無理はありません。
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