虔十公園林・考 ⑧虔十さんが運んだバケツ500杯の水は?
『虔十』というキーワードでいろいろ検索していましたら正に「虔十」という名そのもののカフェが月島にありました。そしてその店で月に一回宮沢賢治作品を花巻弁で読むという朗読会があるという情報を得て4月19日(水)例会に参加しました。賢治さんのファンは根強くいます。そして皆さん賢治さんが好きな方たちばかりです。参加者は朗読をする演者も含めて21名。いい感じの規模です。自分も年6回『ワンコイン朗読会&朗読広場』という朗読会を主宰している立場なのでこのくらいの人数の方が常時参加してくれる朗読会を開催できているこの朗読会のスタイルに憧れを感じました。
閑話休題。 さてまた虔十さんのお話しに戻りましょう。 『…おっかさんに言いつけられると虔十は水を500杯でも汲みました。一日いっぱい、畑の草も取りました。けれども虔十のおっかさんもお父さんも、なかなかそんなことを虔十に言いつけようとはしませんでした。…』とあります。虔十さんの人柄がよく出ている一節です。 今では家事労働もあらゆることがらが電化され自動化され、さらにハイテク技術がすすみ、何事も世話なしになっています。 「一日いっぱい畑の草を取る」家の手伝い、これはすぐ想像できます。さて、一方 「水を500杯でも汲む」という家事労働はどんな内容だったのだろうと様々に思いを馳せてみます。
ここから先は私の勝手な想像の世界ですが、ちょっとおつきあいくださいね。 家のすぐそばに用水路が引いてあり、そこからバケツに500杯の水を汲んで何かを満たす…、さて、なんだろう。五右衛門風呂に水を溜めることでもしたのだろうか?普段は筧の水を引き込んで用無しだったものが何かの事情でその日は一日使えず修理中だった。 コックの栓をひねれば水がよどみなく出る水道が行き渡ってない時代であればそんな出来事もあったでしょう。水は人が暮らす上で極めて貴重です。 農家の仕事をしている家庭では一日の労働を終えて、汗まみれ埃まみれになった身体を風呂で洗い流すというのは極めて御馳走です。 こうした生活の有り様の細部までを感じ取り、分かっていた虔十さんだから黙々と水を運び続けたのでしょう。 不承不承に500杯の水を運ばされていたら全くの『苦役』ですが、ここでは違います。 家族のみんなのために役に立ちたいという心根が500杯の水の運搬をやり遂げたのでしょう。 その結果ヘトヘトになって寝転ぶ虔十さんがいたのでしょうか、 『…けれども虔十のおっかさんもお父さんも、なかなかそんなことを、虔十に言いつけようとはしませんでした。』とあります。 疲労困憊でバテているけれども達成感に満ちた目の輝きの虔十さんです。その姿を見つめるおっかさんお父さんのまなざしを感じます。 水を500杯運び続ける過程で自分の目で見て、自分の脳みそでものを考え、あと半分、あともうちょっと、あといっぱいというように疲れた身体を励まし、家族のみんなの役に立ちたいという思いを貫きました。 ついに500杯もの水を運んだのです。 賢治さんの両の手のひらはすっかりまめができて潰れていたかもしれませんね。 誇らしいてのひらです。けれどもちょっと痛々しいてのひら。 お父さんは筧の水樋の修理を急いだことでしょう。 こんな家族間の心の交流が想像されます。 電化も自動化もされてない不便さ(?)は決して悲しいものではなく、むしろ心豊かな人々の暮らしがそこに脈打っていたのです。
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