第15回ワンコイン朗読会&朗読広場 ~報告~
昨日5/20予定通り無事開催できました。発表の他に新たな提案もありました。 今回はご常連の参加者が5人他の用事等とのブッキングで欠席でした。 けれども、一方、初参加の方が4人ほどありました。
朗読&語り作品並びに絵本の読み聞かせは以下の通りでした。 ①白い門のある家 (小川未明・作) ②だるまさんが (かがくいひろし・作) ③東の果て天のかなた (中国の民話) ④嘘をつくのが上手な男&嘘を言わなくなった男の話 (日本民話2作) ⑤虔十公園林 (宮沢賢治・作)
~主催者ばぶの感想~ 今回は『宮沢賢治・作虔十公園林』を読みました。この作品は自分としては5年ぶりの再演でした。 作品の冒頭「虔十はいつも縄の帯を締めて…」とありますが、5年前はここの部分は単に字面を読むだけの読み飛ばし(?)状態の朗読でした。が、今回はこの作品を何度も読み込んでいく中で自問自答していましたら「なぜ『縄の帯』だったのだろう?」という疑問にぶつかりました。 自分流の独自の解釈ですが、 『縄の帯』は虔十さんにとって少なくとも特別な付加価値のある縄だったのではないか? 例えばある日虔十のお父さんかお兄さんが縄を綯(な)っているところに出合います。 手のひらからわら束が『縄』になって新たに生まれ出てくる瞬間に出合った虔十さんは大きな感動と沢山の不思議を感じ、『自分もやってみたい(作ってみたい)』と縄の綯い方を教わった。 そして初めて自力で綯って完成することのできた愛着のある『縄』を自分の腰に巻き付けて帯にしていた…。 今風の子どもの言葉で浚ってみると「じゃ~~ん、スーパーヒーローのベルトだじょ」といった調子だったのではないでしょうか。虔十さんの得意満面の晴れがましい笑顔が浮かんできます。 虔十という人のキャラと彼の生活ぶりがこの「縄」からたくさん連想できました。
一方この日聴きに来てくださった方から後日メールで虔十が腰につけている「縄ですが・・ 『仏教的にいえば、「因縁」ではないでしょうか。先祖から伝わってきた、聖なる意思と考えると、 ドラマチックですねー』という視点をいただきました。作者の宮沢賢治さんがどのような思いを込めて虔十の「縄の帯」について綴られていたのか益々興味が深くなりました。
~これまでの朗読会を通じて新たな提案~新たなムーブメント~ 「この朗読会を通じて出会った人たちで水上勉・作の『ブンナよ木から降りてこい』を4~5人で群読してみてはいかがでしょう。」という提案がありました。面白そうな企画なので第17回ワンコイン朗読会&朗読広場(9/30土)のメイン作品として具体化しましょうということになりました。是非この企画に参加したいという方は名乗りを上げてくださいね。
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