『見て忘る』
森 澄雄 句 堀越 千秋 画 架空社 刊
昼酒も この世のならひ 初諸子この世のならひ:法然の庶民との問答を集めた『百四十五箇条問答』に、「酒呑むのは罪にて候か」の庶民の問いに、法然「まことは呑むべくもなけれども、この世のならひ」からきている。
諸子(もろこ):コイ科の淡水魚、体長は約10センチの細身。背は暗灰色で腹は白。琵琶湖に多く生息し美味。旅人の笑い――――――――――――堀越千秋 以前、友人の森君からマドリードの僕の家に彼の仕事(美しい墨の装幀)が送られてきた。その本は、彼の父君、森澄雄の俳句集「四遠」であうた。その時は表紙を入念に拝見したきりで内容もろくに読まず本棚に収めてしまったのである。
ひまだらけのスペイン生活も、実はひまであることに多忙なのかもしれない。愚かなことであった。
何年かのちのある日、気まぐれに再びひっぱり出して読んだその俳句に、僕は目を見開く思いだった。小さな一行の中に、大きな空問がぽっかりと口を開けていたのだ。時問という、この世のやっかいな重荷を脇へ置いてほほえむ、何者かが、そこにいた。花の香を吸い込んだような陶酔に、めったに字を読まぬスペイン生活の中、僕の目はむしろゆっくりと天を仰ぎつつ白目がちになるほどであった。僕が自分の絵の中に描きあらわしたいのも、ああ、こういうことなんだなぁ、
ハッハッハッ、と僕はついゲラゲラと笑ってしまった。大いにうれしかったのである。いや、とかく日本というのはしかめっ面しいの国風で、真、善、美、というようなものは、ノシだの箔だの礼儀だのと共に黒っぽくやってこないと本当らしく見えない。しかし、本当は、本当に光り輝く生命からの湧出物は、人間的にも鉱物的にも植物的にも、いつも笑いを伴ってやってくるのだ。
何故、諸君は笑わないか?
凍える雪道をたどって宿の湯に身を沈めたとき、諸君は笑わないか?
僕は、森澄雄の巨きな句から出てくる、遠赤外線ストーブからの熱のようなものにあたって、笑えてくるところのものを描きたくなった。広々と大きな、深呼吸したくなる空の下にてまどむような絵を描きたくなった。インスピレーションはいくらでも句の方からやってきた。
それがこの本の絵である。いくつかの絵の上には、僕らが見守る中、直筆で俳人に幻を書いて頂いた。僕のささやかな絵と澄雄の淡々とした筆致が出会う瞬間に、新しい生き生きとした空間が生まれ出るのを見た。何という愉楽。この本は森澄雄という湯に浸かるを得た、凍える旅人のなかなかに止まぬ笑いである。