昭和10年代はじめ英米の経済制裁が強化され、対英米戦が議論される中、開戦やむなしの陸軍の中にも石油鉄鋼資源や工業生産力の圧倒的な劣勢を訴え戦争回避を主張していた良識派も少数ながらいました。しかし彼らは推進派が握る人事権により中国や東南アジアなど前線へ押しやられてしまい、それが残った者たちへの圧力にもなりました。
ひるがえって今の政情を見ると、第二次安倍内閣で官房長官に就任した菅義偉の主導で、内閣人事局が創設され、ここでキャリア官僚の人事を官邸が掌握する仕組みが出来上がりました。その結果、官僚は官邸の意向を忖度して行動するようになり、森友・加計問題、勤労統計の不正などを引き起こしました。その他にもNHKや日本郵政への人事介入など人事権による無言の圧力をかけ続けています。
官房長官として在職期間歴代一位を誇る菅義偉、『笑わない官房長官』『最強参謀』『影の総理』『悪代官』などと揶揄されていますが、安倍・麻生をはじめとした世襲議員とは違い、たたき上げの凄みを感じさせられます。
ただ、記者会見での東京新聞女性記者への対応など見ると、人間としての奥行きのなさなども感じますが。
菅義偉 wikipediaより
菅 義偉(すが よしひで、1948年12月6日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(7期)、内閣官房長官(第81・82代)。 自民党幹事長代行、総務大臣(第7代)、内閣府特命担当大臣(地方分権改革)、郵政民営化担当大臣、横浜市会議員(2期)等を歴任。 生い立ち 秋田県雄勝郡秋ノ宮村(のちの雄勝町、現湯沢市秋ノ宮)中央部旧国道沿いに家があった農家に長男として生まれる。。家族は父、母、と姉2人、弟1人。父・菅和三郎は、南満州鉄道職員として満州国首都通化市で日本の降伏を迎えた。引き揚げ後、郷里秋ノ宮で農耕に従事。「秋の宮いちご」のブランド化に成功して、秋の宮いちご生産出荷組合組合長や、雄勝町議会議員、湯沢市いちご生産集出荷組合組合長などを歴任し、2010年に93歳で死去した。母は元教員。 雄勝町立秋ノ宮小学校卒業後、雄勝町立秋ノ宮中学校(統合により現在は「湯沢市立雄勝中学校」)に進学。中学卒業後は、自宅から最も近い秋田県立湯沢高等学校に、2時間かけて通学し、第3学年では進学組に所属。 |