今朝の朝日新聞を見てビックリ!
9月4日ここにアップした「
首相退陣」で、私が勝手に想像したことが、全くその通りだったとは、ことが事だけに我ながらあきれ返っています。
誰が考えてもマズイと分かることを窮地に追い込まれているとはいえ、仕出かしてしまったとは、まさしく
策士、策に溺れるの典型例でした。
これまで、人事権を駆使して首相まで上り詰めた男が、最後にその人事権で、これまで築き上げたものを一瞬でふいにしてしまった。
政治小説でも、ここまでのどんでん返しは、なかなか書けないでしょう。
コロナ禍で沈みがちなこの頃、一瞬、痛快なドラマを見たような気持になりました。
さて、これから日本の政治はどちらに向かうのか?
優柔不断の岸田 わんぱく坊やの河野、安倍の影武者の高市、5回目を決めかねている石破、どれも一国のトップとしては???
そう考えるのは、当方が歳をとったせいでしょうか。
「誰が菅を支えてきた」怒りぶちまけた二階氏 政権は崩壊に向かった 引用元:朝日新聞 2021.09.10.
菅義偉首相が反転攻勢を期した人事が、政権崩壊の引き金だった。首相が自民党総裁選への立候補を断念し、事実上の退陣へと追い込まれる背景には、二階俊博幹事長の交代をめぐる首相の誤算があった。
8月30日午後、首相官邸を訪れた自民党の二階俊博幹事長、林幹雄幹事長代理と向き合った首相は「人事を刷新したいと思います」と告げた。1年前、安倍晋三前首相が退陣の意向を表明して動揺する党内で、いち早く「菅支持」を打ち出した二階氏。以来、首相と二人三脚で政権内ににらみを利かせてきた。
ただ、二階氏は前政権から5年にわたり幹事長に座り続け、その強権ぶりは党内外の強い反発も招いていた。政権失速の危機に直面した首相は、二階氏を切り自らの推進力を得ようとした。
二階氏は首相の唐突な通告に「どうぞ遠慮せずにやってください」と二つ返事で応じた。首相は新たなポストを用意し、党本部に専用の部屋を作る考えも伝えたという。快諾を得たと受け止めた首相は「二階さんはすごい政治家だ」と周囲に安堵(あんど)の色を見せた。
「立ち止まって考えるべきだったな」
しかし、二階氏は納得したわけではなかった。
翌31日朝の新聞1面には「二階幹事長 交代へ」の見出しが躍った。自身の名ばかりがクローズアップされた記事を見た二階氏は「誰が菅を支えてきたと思っているんだ」と声を荒らげ、怒りを周囲にぶちまけた。一方、再浮上のシナリオを練っていた首相は、周辺に「ここで人事をやらずにいつやるのか」などと、意気盛んな様子で語っていたという。
その夜、首相は二階、林両氏と東京・赤坂の衆院議員宿舎で再び会談した。首相は人事の「次の一手」である衆院選の日程について相談。「任期満了選挙」のほかに「9月中旬解散」も想定していることを伝えた。後者は、劣勢が予想された総裁選を衆院解散で先送りする力業だった。
「厳しい日程に入っていますが、お任せします」。表情を変えずにそう応じたという二階氏。会談後には、再び自身の人事について周囲に不満を語った。このころ「鉄の結束」を誇示する二階派内で、すでに首相への怒りと不満が渦巻いていた。
2日午後、首相は党本部の幹事長室を訪れ、また二階氏と会談した。首相はこの場で、総裁選に立候補する意向を明確に伝えた。前日には、党内の猛反発を受けて「9月解散」の見送り表明に追い込まれていた首相。広がり始めていた「立候補断念」の臆測を打ち消す必要があると考えていた。人事構想の一端にも触れたという。
一方の二階氏側は、首相から打診があった林氏の選挙対策委員長への就任を固辞していた。二階氏は会談後、周辺に「最後の顔合わせだろう」と、淡々と話したという。
首相は3日午前、党役員会で総裁選に立候補しない考えを明らかにした。二階氏は記者団に「党執行部との間には、何のゴタゴタもない。一丸となって総理を支えてきた。歴史的にも素晴らしいことだ」と語った。その後、周辺に漏らした言葉は冷ややかだった。「立ち止まって考えるべきだったな。恩知らずだった、ということだ」(明楽麻子、岡村夏樹) |