私か本校に入学したのは昭和34年のこと。
都立高校の受験システムは時々大きく変わります。
当時は9教科900点満点でした。
第一希望を受け、そこを落ちれば第二希望校へ回れるということになっていました。
今でいう偏差値の高い学校を受けて落ちたらその時のことと考える者も多かったのです。
私は敢然として鷺宮高校を受けました。忘れもしない3月14日の発表の日に行ってみると、女子はいっぱい合格者が居るのに男子は僅か19名でした。定員は女子250名、男子は150名だったのですがね。入
学式の時は150名揃っていました。他校を受けて落ちた組が合格してきたのです。
鷺宮高校は戦前は府立家政と称していて、都内1、2を争う女子の名門でした。
西武線の駅名が都立家政とあるのはその名残です。
男女共学になったのは私か入学する前年からで、その年度は女子300対男子100。私の年度は前述した通りで、次の年度から200対200になったのです。数というものは恐い。運動会などでは男子の方は100名の3学年よりも150名の2学年の方が強く、更に1学年の方が強かった。リレーなどが顕著でした。
当時の都立高校は私学を圧倒していて、鷺宮高校は特に女子は第三学区内で1、2位の学力だったのです。当時は女子の方が成績が上で、一番の人はお茶の水女子大へ行き、男子の方は東工大へ行きました。もっとも私にとっては勉強は二の次で、将棋のプロを目指していましたから関係ありませんが、勉強の方でも頑張りました。
鷺宮高校を選んだのは女子が出来が良いということを聞いていたからだったのです。
クラスメイトに理想的な女子が居ました。性格が良く、明るくて人柄も良く、テニス部で健康そうです。成績は私よりは落ちても全体の中では良かった方です。こんな女性と結婚できたら良いなあと思いつつ過ごした3年間でした。それが現在の私のカミさんです。
知り合ってから50年以上になります。俺でよかったのかなあ、とも思っていますが、私の方もなんであんな錯覚をしたのか今もって分からないでいます。
〈日本将棋連盟会長 永世棋聖〉
100周年記念誌「百年萬歩」より