パリの枕詞は「スペインの湿った裏庭」である。 私が作った。以前はよく遊びに行った。
乾燥したワラ小屋のようにチクチク、バサバサしたほこりっほいスペインから、しんねりと柔らかい、濡れたワラのマットレス みたいなバリヘ行くというのは、一興であった。
マドリードにいると、西日に顔をしかめて、他人に対抗していつも胸を張っていなくてはならない。一方、ハリは、町角のくすんだ壁のひとつひとつが、静かな呟きを含んでいて、人事を超えた何事かを語りかけてくるようである。
シルクのシャツが一枚欲しいな、と思い立つと、バリヘ出かけた。嘘。
画学生時代からの友人、小林實が市内に住んでいたので、そのアトリエによく泊めてもらったのであ谷 小林が離婚して、郊外に移り住んでからは、行っていな。小林の離婚のせいではあるまい。何となく、都会けみな同じ、というような気がしてきたのである。
それでも、ふと、地上にはパリがあるんだなあ、と思い出すとなつかしい。
むかし、小林が日本へ何ヶ月か帰った。その空いたアトリエを、冬の。一ヶ月ほど借りて、一人でいたことがある。歩くとみしみしうい木の床を、いかにもパリの小さなアトリエらしく感じて楽しんだ。たてに細長い両開きの窓からは、パリの屋根屋根が見えた。ヨーロッパ、がみえた。
じゃマドリードの空の下には何が見えるか。茶色いスペイン、である。ヨーロッパじゃない。
パリの町散歩すると、壁や・舗道が多弁なせいで、一人ても寂しくない。いや、1人のほうがふさわしく思られる。実際、小林のアトリエにいて、仏は誰ともしゃべった記憶がない。
思い出した。スーバーヘ行って、塩を買おうとした。女店員に、仕方がないのでスペイン語で「サル(塩)?」ときいた。すると彼女は世にも怖ろしく顔を歪めて、「コモン(何)!?」と叫んだ。
何故に、フランス人は、単語ひとつ問違えただけで、かくも軽蔑したように叫び立てるのか? 後でわかったことだが、塩はフランス語で「セル」である。ほとんど同じではないか。
もう一度問いたい。何故にフランス人は単語ひとつの誤りに、親の仇に会ったように醜く顔を歪めるのか? よくあんな顔になりますよね。
これが、あの冬、ほとんど唯一、人問としやべった記憶である。バリでは、しやべらなく
とも、ほとんど用が足りるのであった。そして、一人黙っているのがふさわしい町であるらしかった。
テレビもないアトリエで、私は一人で何をして一ヶ月をすごしたのかというと、春画を描いていたのである。
慰みに描きはしめたものを、だんだん、絵巻物のように長くつなげていった。
散歩の途中、セーヌ河畔の画材の老舗セヌリエに寄り、良い紙を数枚買う。鉛筆と消しゴム、それから口紅のような形の固型のりが出始めたので、それも買っだ。その店では、ほとんどしゃべる必要がない。入る時、「ボンジュール」というぐらいだ。出る時には、「オーヴォア」というが、誰もきいてはいないだろう。
春画を、鉛筆で描いた。テ-ブルの板の上に置いた白い紙の上を、鉛筆で、強い筆圧と共に、妄想の女の体の輪郭を撫でるのである。毛筆では、紙や板からはね返りが感じられない。
私は、心の中の女の体の、その感触を感じるために描いているのだから、鉛筆でなくてはならなかった。
それは、絵を描く、というよりも、もっと肉体的な行為であった。頭の芯がしびれたように、熱中した。
午前中から、陽が暮れるまで、明るい内は、それに没頭した。食事はどうしたのか、憶えていない。ふと目を上げると、窓からパリの曇天が見えた。パリは、こういう秘めごとに向している。
紙が足らなくなると、またセヌリエヘ行って買った。十枚もあれば問に合うだろう、と思って買って帰ると、やがて足りなくなった。どんどん、どんどん、左方へつないでいった。
『絵に描けないスペイン』より(幻戯書房)