ある日、ふと目を上げると、地上五階のアトリエの窓の外に、男がはりついて、こちらを見ていた! 私は作画に没頭しているのである。あんなに驚いたことはない。いつの間にか地面から足場を組み上げられていて、外壁の洗浄が始まっていたのであった。
それ以来、レースのカーテンをしめて、作画を続けた。
紙の巾は四十センチほどである。長い長い絵巻物になった。計って見ると、三十数メートルあった。横山大観の絵巻「生々流転」よりも長いということがあとで判って、一人でケタケ
タ笑った。
横山大観のは、作品、である。私のは、ちがう。肉体行為である。もっと生ま生ましい。
後世の評価、なんてない。 絶対に、誰にも見せないからである だが、傑作であることは間違いない。一ヶ月、人間が、一言も口をきかずに熱中、没頭した、モノだ。 何事かではあるだろう。 最も原初的な何か、ではあるだろう。それで十分だ。
絵巻の冒頭と最後尾に、布を貼りつけて、装飾して、おしまいにした。
とたんに、何か、頭の周囲の黒雲が晴れたように思われて、つまらなくなってしまった。
窓の外は、ただの灰色の、へんに明るい曇り空であるにすぎなかった いっぺんに、何もかも、退屈になってしまった。精を、放出したあとのようだった。
それで、散歩に出て、シルクのシャツを買ったのである。濃い緑色の。
それを着て、オペラに出来たばかりのラーメン屋に行った。
この頃は、インスタントーラーメンだけが外国における唯一のラーメンで、貴重品だった。
なのに、パリにラーメン屋が出来ただ。その噂はマドリードでもきいていた。行ってみたいと思う一方、そんな故国のものを求めて右往左往するのは堕弱である、という気分は、当時の貧しい日本の若者に共通していたこ思う。第一、高い。
そこへ行ってみたのである。
西洋に珍しきラーメンを、勇んで食べたら、すすり込んだ麺で汁がハネて、買ったばかりのシルクのシャツの前面に、たくさん点々がついた。
同じ日に街頭で買った、白黒の美しいヌード写真の絵葉書は、いまもマドリードの私のアトリエの本棚にたてかけられてある。
絵巻を描いたときは――お断りしておいたほうがよいと思うが――ヌード写真やその他のものは一切見ていない。春画というものは、全部妄想で描かれてこそ、その意味がある。
頭蓋内の暗闘の産物なのである。
冗談じゃない。
歌麿の春画があまりにエロティックで、リアルだというので、歌麿はおそらく障子の穴から閨房をのぞいていたに相違ない、という諭を、ある立派な浮世絵画集に述べていた美術評論家があった。うっぶ!と息が止まるくらい驚いた。世間の人はこれを信じるかもしれない。
人間は百メートルを九秒台で走るのである。しかし、五百年ののち、人類全体が衰えたとき、その記録は速すぎるからきっと選手はローラスケートをはいていたのだろう、といわれるかもしれない。・・・・・・・
パリの、ホテルじゃダメだ。いつメイドが入ってくるかしれないから。こんな、一人きりになれる、明るい一室があったなら、いつだって、冬に、きっとまた春画の「生々流転」が描ける。・・・・・・
淡雪ような、たった半日の恋をしたのも、パリの冬であった。
すっきりと背の高い、日本女性たった。スペインには、あのころ、絶対に来ないタイプの人たった。黒い長いオーバーを着て、柔らかいマフラーをしていた。
午後、町の中で知り合い、互いに特問はたくさんあるのだから、ゆっくりしゃべりながら歩いた。ノートルダム今院の中の、礼拝堂をひとつひとつ巡って歩いた。千のろうそくが闇に輝いていたので、勇気を出して、美しいその人の横顔をじっと眺めていたら、彼女もこちらを見た。互いの目を何秒間も見つめ合ったのは、暗いせいばかりではなかった。それは二人共よく知っていた。
外へ出ると、もう薄闇だった。
「友だちと約束の時問があります」
と、彼女は言つたので、その場所(彼女のホテル)まで一緒に歩き、別れた。名前をまだ憶えている。友だち、とは男性のように感じられた。
マドリードでなら、こんな香りの高い事件は、起こらない。教会の中には、西日を浴びて乾燥した血まみれのキリスト像がひっかかっている。
小林實は、コリン・コバヤシのベンネ-ムで、最近、『ゲランドの塩物語』(岩波新書)という本を書いて、ポール・クローデル賞というのをもらった。フランスの環境とスローフー
ド運動を紹介した、興味深い本である。
『絵に描けないスペイン』(幻戯書房)より