昨日、新浦安にあるJ:COM浦安音楽ホールで[「イーハトーヴォ物語」 30周年記念オーケストラコンサート]が催されました。
この組曲を作曲・編曲をした多和田吏氏から招待状をいただき、家内と行ってきました。
スーパーファミコン版「イーハトーヴォ物語」は、ゲームメーカーの株式会社ヘクトを設立て間もないころ、友人で今は亡き浅利氏からの持ち込み企画でした。
新しいメディアとしてゲーム機の可能性を模索していたところに合致した提案でしたので、即採用を決定、制作にかかりました。
宮沢賢治の世界観をゲーム空間で、その楽しさ素晴らしさを多くの子供たち、いや大人たちにも知ってもらおうというコンセプト。
まず開発するにあたって、当時まだ元気でおられた宮沢賢治の末弟の清六さんを花巻にお訪ねし企画の趣旨を説明したところ、「良いものを作ってくださいね」と快く許諾をいただきました。
そして、開発スタッフと視察を兼ねて、花巻・盛岡の羅須地人館、小岩井牧場、イギリス海岸とロケハンをしたなど楽しい思い出も多々あります。
残念ながら発案者の浅利氏が体調不良により途中離脱してしまうという紆余曲折もありましたが、彼の意思を残りスタッフが引き継ぎ力を結集して完成に漕ぎつけた思い出深い作品です。
開発にあたって特に重きを置いたのは、宮沢賢治の世界観の再現です。そこで大きな役割を担ったのが音楽です。
作曲を依頼した多和田吏氏とは、以前からの付き合いで、この企画が持ち込まれた時、まず一番に彼のサウンドが頭に浮かび、開発当初から参加してもらいました。
まさしく「イーハトーヴォ物語」成功の大きな要因の一つは彼の音楽でした。
今回のフルオーケストラによる演奏を聴きながら、必死に制作に取り組んでいた30年前の思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡りました。
演奏会が終わった後、ロビーで一緒に制作に携わってくれた川上くん、新垣くん、衛藤くんに30年ぶりで再会できたのも驚きと喜びでした。
『カンパネルラ』の著者 長野まゆみ氏が河出文芸文庫のあとがきに以下のように記しています。
『イーハトーヴォ物語』というスーパーファミコンのソフトで遊び、最終章の銀河鉄道に乗る場面にたどりついたときは、哀しく、やりきれない気分になった。(中略)
全体を通して、映像はよくあるファミコンの省略しきった絵柄であるのに、随所で哀調をおびた音楽に惹きこまれてしまう。仕事の合間に愉しむこんな遊びで、なぜこれほど感極まるのかと情けなりつつも、ソフトの緻密なできばえに感心した。
イーハトーヴォ物語 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A9%E7%89%A9%E8%AA%9E