前回、
設計図 ?で6才の孫の性知識について書きましたが、今朝の朝日新聞「時時刻刻」でまさしくこの問題が掲載されていました。
(時時刻刻)性教育、遅れる日本 引用元:朝日新聞 2023.11.29.
子どもや若者への性暴力が社会問題となる中、現在の日本の教育では、子どもたちが性に関する十分な知識が得られないと訴える声があがっている。世界では人権尊重を基盤に、性交を含めて幅広く性を学ぶ「包括的性教育」が広がる。識者らは「自分の体も相手の体も大事にできるようになる」として、日本での実施を求めている。(杉原里美、島崎周、塩入彩)
講演まで1週間に迫った日のことだった。
全国各地の学校で性教育の講演をする埼玉医科大助教で産婦人科医の高橋幸子さん(48)は今年2月、関東地方の公立中学校から性教育の講演をキャンセルしたいとの連絡を受けた。
講演は中学3年生向けで、半年前から日程を決めて調整を進めていた。窓口の教員からは「急にいろいろ教えたら混乱するから」と説明された。
■性交の描写避ける?
思い当たったのは、事前に送ったスライドだ。
スライドには、性交を描いたイラストや記述があった。日本産婦人科医会が中学生向けに作ったものだが、過去には別の自治体で、講演時にスライドを削除するよう要請されたことがあった。
高橋さんは「性に関する正しい知識を科学的に知っておくことが、自分の身を守ることにつながる」と、講演で性交について説明する。「性交に触れずに、性暴力の被害について学ぶのは無理がある。性行為が何かわからなければ、被害を被害と気づかず、被害を申告できない」。講演を聞いた子どもたちからは「知らずに大人になったかと思うとぞっとした」といった感想が寄せられているという。
■指導要領、記述なし
小中学校の学習指導要領には、性交に関する記述がない。加えて、性に関しては、小学5年理科で「人の受精に至る過程は取り扱わないものとする」、中学校保健体育で「妊娠の経過は取り扱わないものとする」との一文で示される、いわゆる「はどめ規定」がある。
「○○は取り扱わない」とするはどめ規定は、学習内容を減らした1998年の学習指導要領改訂時に、複数の教科科目で導入された。「ゆとり教育」への反動から2008年に原則撤廃されたが、性に関わる規定は「安易に具体的な避妊方法の指導等に走るべきではない」(中央教育審議会教育課程部会の専門部会)などの意見があり、残った。文部科学省は「(性交について)集団で一律に指導する内容としては取り扱わない」と位置づける。
■保守政治家らが批判、萎縮する現場
なぜ、学校現場は、性交を教えることに慎重なのか。
旧文部省は戦後、結婚までは性交を控え、若者を性から遠ざける「純潔教育」を推進してきた。1980年代、HIVの感染予防を背景に性教育の必要性が高まると、92年に小学校の体育(保健)で初経と精通、理科で人の発生について学ぶことを盛り込んだ学習指導要領を実施した。これに対し、一部の学者や週刊誌、宗教右派が「性交教育だ」「性が自由になり家庭が崩壊する」などと強く反発した。
性教育が広く社会に問われたのが「七生(ななお)養護学校事件」だ。2003年7月、知的障害児にわかりやすいように模型や人形を使って精通や妊娠などを教えていた都立七生養護学校(現特別支援学校)を都議が視察し、「不適切」と批判。都教委が同校教員を厳重注意した(その後の裁判で厳重注意は違法とされた)。
「不適切」の理由に使われたのが、学習指導要領だった。当時の都教委指導部長は05年3月の都議会文教委員会で、「学習指導要領や児童生徒の発達段階を踏まえない不適切な性教育が実施されていた」と答えている。
00年代は、保守的な家族観をもつ議員らから性教育への激しい批判が起きた。七生事件前の02年、山谷えり子議員が国会で、中学生向け性教育の冊子にあった避妊の記述を問題視。冊子は絶版・回収された。
05年には、自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」が発足し、座長に安倍晋三氏、事務局長に山谷議員が就いた。チームは同年5月にシンポジウムを開き、10月に「過激な性教育・ジェンダーフリー教育」の県別事例集をまとめた。
当時、性教育に取り組んでいた都内の小学校教諭(61)は言う。「抗議を受けないように模索しなければならず、現場は萎縮していった」
朝日新聞が今春、都道府県と政令指定市の67教育委員会を対象にした調査で小中学校の授業内での性交の扱いを尋ねた質問(複数回答可)では、6教委が「教えないように周知している」と答えた。最も多かった回答は33教委の「方針なし」で、14教委は選択肢を選ばなかった。
■「包括的性教育」の必要性指摘 人権尊重が基盤、科学的根拠で学ぶ目標示す
「何が起こっているのかわからなかった」――。旧ジャニーズ事務所の創業者、ジャニー喜多川氏(2019年死去)から性被害を受けたと実名で証言した元ジャニーズJr.たちはそう口をそろえる。
15歳の時に被害に遭ったというカウアン・オカモトさん(27)は「自分もそうだったが、子どもは(性被害だと)わからない。性被害、性加害について教育に取り入れていく必要があると思う」。
性教育をめぐっては、世界では包括的性教育が広がる。
ユネスコ(国連教育科学文化機関)などは09年、「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」を作成。18年に改訂版を出し、包括的性教育という考えを前面に打ち出した。人権尊重を基盤に幅広く、科学的根拠に基づいて性を学ぶ教育で、項目ごとに各年齢で学ぶべき目標などを系統立てて示す。
例えば、「生殖」の項目では、5~8歳で、卵子と精子の結合から着床までのプロセスなどを学ぶ。9~12歳では、男性のペニスが女性の膣(ちつ)内で射精する性交の結果で妊娠が起こることを認識することなどが目標とされている。
一方、日本の学習指導要領や、性暴力の加害者、被害者、傍観者にならないことを目指して今年度から始まった文科省の教育プログラム「生命(いのち)の安全教育」は性と人権について系統的に学ぶカリキュラムにはなっておらず、義務教育段階では性交にも触れない。そのため、近年、包括的性教育を日本の学校で行うよう求める声は国内外から上がる。
日本弁護士連合会は今年1月、国などに意見書を提出。学校教育において、「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」に準拠した包括的性教育を実施することなどを求めた。日本財団の有識者会議も昨年8月、若年者の予期せぬ妊娠の現状などに言及し、包括的性教育の必要性を訴え、学習指導要領の「はどめ規定」の見直しなどを求める提言書を発表した。
今年1月にあった国連人権理事会の193の加盟国による審査では、アイスランドとコスタリカの2カ国から、包括的性教育の実施を求める勧告が日本に出された。
■性は人権の問題、まず大人が学んで
包括的性教育とは何か。なぜ日本は遅れていると言われるのか。埼玉大の田代美江子教授(ジェンダー教育学)に聞いた。
――包括的性教育とは。
人権を基盤とした性の教育です。体の発達や生殖などの生物学的な面に加え、ジェンダー平等や性の多様性といった社会・文化的側面も含め、幅広く性を学びます。自らの健康や安全について考え、より良い人間関係を築き、幸せに生きるための選択ができる力を育むことを目指します。
――なぜ、性が人権の問題なのですか。
性は、心身の健康と幸福(ウェルビーイング)の源。性の健康は、身体や精神、社会的に良好で、差別や暴力に遭わない状態で実現されます。
人間らしく健康で幸せに生きていくための権利が「性の権利」であり、それを確かなものにするのが包括的性教育です。
――日本では包括的性教育は行われていないのですか。
ほとんど行われていません。保健分野で思春期の体の発達などを断片的に学ぶことはありますが、学習指導要領できちんと位置づけられておらず、系統的なカリキュラムになっていません。
――なぜ日本の性教育は遅れているのですか。
一つには、歴史的な背景があります。日本では、女性に「貞操」を求めるような性規範が根強くあり、敗戦直後から、当時の文部省によって「純潔教育」との名称で、性道徳を重視する教育が進められました。
そして最も深刻な問題は、00年代に激しくなる、自民党右派や一部の宗教団体・研究者による性教育への「攻撃」、「ジェンダーフリーバッシング」といった政治的な圧力だと私は思っています。
――性教育の遅れは、子どもたちにどのような影響を及ぼしていますか。
一番の問題は、子どもたちが性をポジティブに捉えられていないことです。包括的性教育を受け、自分の体のことは自分で決めるという「体の権利」を理解することが、自分を大事にし、他者を尊重することにつながります。そして、より慎重な性行動を選択するようになることが研究で明らかになっています。
――日本の性教育を進めるために必要なことは。
まずは大人が学ぶことです。多くの大人は、性を科学的に学ぶ経験をせず、「性は人権の問題だ」ということを知らずに育ってきました。学校の先生たちが安心して性教育に取り組める環境をつくることも必要です。(聞き手・塩入彩) |
自分の子供時代を振り返ってみても、さすがに6才の時は何も知りませんでしたが、小学6年生ぐらいになると、ませた友達から性に関する情報が興味本位にかつ断片的に聞かされ始めました。
いきなり知らされることなので、現実味はなく、ただ「いやらしいー」ですましていましたが、一方で男性向け雑誌などが目につき始め一人で悶々と過ごしていたことが蘇ります。
一部の保守系議員や宗教右派の人たちは、この問題を頑なに拒み続けますが、今やインターネット時代、こういった情報は子供たちの周りに散乱しています。
正しい知識を知ったうえで、こういった情報に接するのと、まったく知らずに接するのではおのずから結果は目に見えています。
現場を預かる先生たちも大変でしょう。いつまでもタブー視せず、思い切った改革が望まれます。