なぜ面白い? 『注文の多い料理店』の秘密
宮沢賢治さんの『注文の多い料理店』です。とても面白い作品です。
このお話しは賢治さんの童話の中でも比較的ポピュラーな作品の一つです。
二人の若者が山の中で道に迷い『西洋料理店 山猫軒』という不思議なお店に入って危うい体験をします。面白さへの「なぜ?」という疑問、その答えはいろいろあるでしょうが私なりの自問自答を試みます。
私にはここに出てくる二人の若者は未だ『大人になりきれていない子供っぽい大人』のように思えます。ハンティングというスポーツ愛好家というよりは『狩人ごっこ』の延長でにわか猟師になっているのでしょう。
まず形から入るのが彼らの常套手段ですから「すっかりイギリスの兵隊の形」を身にまとい、おそらく購入したばかりの「ぴかぴかする鉄砲」をかついで、愛犬というよりはアクセサリーのような「白熊のような大きな犬」を連れて、だいぶ深い山奥の木の葉のカサカサするようなところにやって来て、そして迷子になります。
能天気な二人は山猫親分の策略に上手に騙され、騙され、さらに騙され、あわや間一髪のところで助け出されます。けれども、二人の若者はなぜヤマネコ親分の策略にまんまとはまるのでしょう?
人は誰でもとかく自分にとって納得しやすい方向に情報を集め状況を分析・解釈する傾向があるものです。
賢治さんはこの傾向を下敷きに、レストラン山猫軒という不思議空間・・・『訪れたお客に西洋料理を提供するのではなくて、逆に、お客を西洋料理にして食べてやる店』を創り出しました。賢治さんという人の着想のすごさ、面白い感性が読者を存分に楽しませてくれます。賢治さんはこの傾向を実に巧みに作品の中でふんだんに遊びます。
もう一つのなぜがあります。どうしてヤマネコ親分は二人の若者というごちそうにありつけなかったのでしょう。自分の賢さ(悪賢さ)への慢心と自己陶酔でしくじったのです。今一つ賢さが足りなかったのですが、その足りなさゆえに二人の若者は命拾いできたのです。
命拾いはできたのですけれども二人の恐怖体験はくしゃくしゃに丸めた紙屑のように残り、東京に帰ってもお風呂に入っても治りませんでした。さてこの若者たちはこの恐怖体験でどのような経験智を得たでしょう?少しは賢くなったでしょうか?人には誰にも大なり小なり何歳になっても子供っぽさが抜けない面というものがあるものです。私自身にもこの傾向はある面で濃厚に持ち合わせています。
自然界の営みを侮り動物の命を軽んじる愚かな人間がしっぺ返しに会うという重みがこの寓話の中でさりげなく語られています。
私はこのお話しが好きです。