群 太郎 昭和53年(1978年)卒
昭和48年(1973年)、鷺宮高校サッカー部は、都大会決勝に進出した。
当時、都立高校は学校群制度(昭和42年~56年実施)であり、31群は(武蔵丘、鷺宮、練馬)の3校であり、31群の受験合格者を無作為に3校に振り分けているため、合格しても鷺宮高校になる確率は1/3であった。
また、監督を務めた島田先生はスキ-が専門で、他の強豪都立高校と違い指導者不在であった。
とは言っでも、昭和47年(1972年)は都のベスト8であり、昭和48年(1973年)の部員は全学年で40人にのぼり、伝統はなくとも強い高校に数えられていた。チームはハーフ、バックス共に良い選手が揃い、逆にフォワードは2学年に良い選手が揃い、バランス良く強いチームであった。
他に早稲田大学高等学院、石神井が伝統的に強かった。ただし、帝京は当時から別格に強かった。国体の東京代表のセレクション17名中11名までが帝京、と、帝京はまさにエリート軍団であった。
昭和48年(1973年)5月3日、都大会予選決勝の相手はその帝京、場所は都立久留米高校。
役者は揃っている、相手は最強軍団帝京、対する鷺高は雑草魂。審判は石神井高校OBで昭和40年当時帝京と互角にわたりあった上野。
前半に2学年FW稲葉のゴールで先制。前半は1-0で終了。
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4-3-3システム
大矢(BK) 及川(H) 鹿島(FW)2年
小林(GK) 小林(BK) 板村(H)副キャプテン 稲葉(FW)2年
池田(BK) 笠井(H)キャプテン 宮沢(FW)
赤坂(BK)
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後半10分に稲葉の2点目が決まる、2-0だ、帝京の猛反撃が凄い、(マイアミの奇跡の対ブラジル戦の猛攻を連想すればいいのだろうか?)最後の20分は怒涛の攻撃、残り7~8分で1点返されて2-1.シュートの雨あられてPK戦も覚悟したそうですが、守りきる。やったね、鷺高サッカー部歴史的大勝利!
鷺高はA代表として昭和48年(1973年)6月2日、関東大会を迎えるが、初戦はいきなり優勝候補の古河一校。
0-0と善戦したが、延長で0-1の惜敗。残念!
続くインターハイ都予選 石神井戦で事件が起こった、先生が来ない? 島田先生が別の先生にお願いしたのだが、腹痛をおこし来られなかったとの事で不戦敗? よく判らんが、無念!
最後の全国高等学校サッカー選手権大会は、都予選で再び帝京と激突するも借りを返される形で敗退。うーん残念!
春の新人戦(関東大会東京都予選)のスコアは部室の扉の裏にマジックペンで書かれていたが、いったいいつまで残ってたんだろう? 鷺高は建替えのため暫くプレハブ住まいらしい。部室も取り壊されるのだろうか? いや、部室は残っていたのだろうか? 扉だか
ら既にペンキで塗り替えられてたのだろうか? 残念ながら予選の記録は残っていない。
100周年記念誌「百年萬歩」より