スペイン北東部のバスクは、美食の秋葉原である。特に、サン・セバスティアンの旧市街を歩いてごらん。ズラリとレストランとバルが軒をつらねて、各々の自慢の料理を競っている。それらは本当に美味い! 全然他所と違う!
エカキはよく「絵の具が立っている」という。同じ色でも生き生きとして見えるのだ。美味しいご飯も「お米が立っている」と言わないか? バスク料理は立っている。思わずスキップを踏みたくなる。老人でさえ、杖を振り回して小走りに行く。
バスクは山と海にはさまれている。コロンブスやマゼランの船を操ったのは、多くがバスク人であった。航海中、まずいメシを出すと暴動が起きるから、バスク人シエフの腕が上がったのだという説があるが、バスクの美食はそんな部分的なもんじゃない。庶民は美味いものを求めて、美しい山河をめぐっている印象がある。
バスクの美食の根源は、料理人たちのプロ意識だの野心だのではない。バスク州全部の人々の、食に対する愛と情熱である。言葉だけなら、いまの日本の首相だって同じことを言うだろう。そしてその裏で、なし崩し的に輸入自由化に走ったりする。バスクは、そのていねいな生活を、決して売り渡すことぱしない。金もうけは卒業して、日々のくらしにおいて愛と喜びを実現しようとしているのだ。一度行ってごらん。びっくりするから。
マドリードの僕のいるアパートの自治会長は、持ち回りで毎年代わる。ある年、新会長の若い男が僕に言った。「君は自治会費を払いすぎている。計算して返すよ」
僕は耳を疑った。‥ここはスペインである。いったん手にした物、まして金なんか、絶対に返つてこない。証書があろうがなかろうが「返金」は彼らの辞書にない。前払いの愚はゆめゆめ犯さぬように、ご忠告しておく。なのに、この男ときたら!
「君はどこの出身?」と僕は問うた。外国人かと思ったのだ。「バスクだよ」バスクの、どこの町でもよい。高台の日当たりのよい所に建つ瀟洒な建物があれば、それは高級ホテルではなく老人ホームである。町には並木があり、ズラリとベンチが並んでいる。バルはおしゃれな、可愛らしい装飾で人々を微笑んで迎える。老人たちは伝統のベレー帽をかぶり、プロムナードで子供たちと遊んでいる。
あるいはまた、人々はひいきのバルやレストランのカウンターに集い、昼飯前のシドラ(リンゴ酒)やチャコリ(白ブドウ酒)の1杯を楽しんでおしゃべりに興じている。
生活が美味い! 立っている!
バスクの国民的芸術家は、彫刻家チジーダである。その抽象彫刻は、サン・セバスティアンの荒波の砕ける岩礁に、大岩から生えたように、立っている。
先日、初対面のあるバスク人が、最近のトピックスを教えてくれた。
数年前、僕がある町のレストランで「何だい! この魚のスープは!世界一じゃないか!」と叫んだら、主人がニコリともしないで「シ(そう)」と言ったことがある。
そのことをある雑誌に書いたら、その雑誌を待った日本人がたくさん来るようになった。しまいにや観光バスで来るようになって、町の人々も驚いた。地方新聞にそれが出て、店の主人が僕の書いた記事を手に笑っている写真がのったそうだ。見出しには「全ての日本人はうちに来る!」。
霧雨のことをバスク語で「シリミリ」と言う。どことなく日本に似た湿度を持つ古い人々なのである。
朝日新聞GLOBE より