鷺高時代の私 海江田万里
私が鷺宮高校でお世話になったのは1964年から66年までの三年間です。この記念誌を読む在校生の皆さんがまだ生まれる前のことだと思いますが、当時の鷺宮高校は前身が都立家政学校だということもあって、どちらかというと女生徒の力の強い、男生徒が片身を狭くしているような雰囲気のある学校でした。1964年から66年というと世の中の動きでは64年に東京オリンピックがありました。学校の体育の授業でオリンピックのTVを見た記憶があります。個人的に新宿まで行ってマラソンでエチオピアのアベベが力走する様子をこの目で確かめました。 私の鷺高時代の一番の思い出は剣道部に入って剣道に熱中したことです。これも若い皆さんには分からないことでしょうが、私たちの子供の時代は赤胴鈴之助というマンガが流行って剣道をやる子供達が多かったものです。私も少年時代は町道場に通って剣道の練習をしていましたから、中学に入ってクラブ活動で剣道部に入ろうと思っていたら、私たちの中学時代は戦後民主主義の教育が盛んなときですから柔道とか剣道とかは軍国主義の復活につながるということでクラブ活動が許可されなかった時代でした。ですから中学時代は剣道ではなく野球をやって高校へ入ってやっと剣道を練習することができた次第です。 私の鷺高時代の成績が学校にまだ残っていたら恥ずかしいかぎりですが、けっして成績のいい生徒ではなかったはずですが、それも剣道に熱中していたからだという言い訳をしておきます。それにしても私は高校時代に入学したときは身長もそれほど大きいほうではなくクラスで真ん中か、それよりちょっと小さいくらいだったのですが、剣道部で一所懸命稽古をするうち高校卒業のころには身長1m80Cmの長身になりました。長身になっただけでなく基礎的な体力がつきましたから、現在のような激務でも医者がびっくりするくらい健康体です。 在校生の皆さんもこれから社仝にでて将来実感するはずですが、何をやるにも健康と体力が一番です。高校時代の三年間は基礎体力を養うためにかなりの努力を傾けてもいいと思います。勉強についてはあまり努力をした記憶はありませんが、教科書以外の本をよく読んだことは覚えています。大学の入学試験だけを考えたら教科書に関係のない読書は役に立たないかもしれませんが、大学を出たあとの長い人生を考えると読書の必要はこれからも変わらないはずです。
鷺高八十周年誌より
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