桜・銀杏図扇 一柄 個人蔵
金泥の霞引か扇形に沿って施され、紅葉に返り咲きの桜という華やかな色彩の面を反対に返すと、大振りな銀杏のさらに鮮やかな黄色。その華やかさ、取り合わせの豪華さは、江戸琳派の扇のなかでも随一ではなかろうか。濃彩や金泥の線による隅々までゆき届いた適確な描写が掌中で堪能できる。
「噌々其一」と款し、「必庵」朱文方印を捺す。裏には「其弌」の印のみである。
金地描絵左義長羽子板 一枚 滴翠美術館
厚板に金泥で雲型を配し、表は宮人官女が並ぶ王朝風俗、裏には雲型の下に左義長(正月行事のどんど焼き)三基と松竹梅の吉祥模様を描く。
典型的な羽子板の図様で、其一は奈良絵風に鮮やかな略筆で描いている。抱一の「絵手鑑」(静嘉堂文庫美術館蔵)には、この羽子板の表にほぼ共通する宮人官女図があり、其一が参照したと思われる。
江戸時代の羽子板で作者名があるものは大変希で、新年の贈答用の注文に応えたものと思われる。
羽子板のコレクションと研究で知られる滴翠美術館の創設者、山口吉郎兵衛氏の蒐集にかかる。同館以外では初の展示となる。江戸後期の典型的な羽子板だが、裏面中央には「噌々其一筆」の隷書の署名と「元長」(朱文方印)があり、絵師の名が明記される例は稀である。
其一は同様の羽子板を描く新年の掛け物も描いており、節句画や節句の調度の注文は其一近辺に多かったと思われる。 (岡野)
香包 二枚 個人蔵 香包の絵といえば光琳のそれが有名だが、みな掛軸に改装されている。これは本来の形をのこしていて貴重な其一の作例である。外側が金箔地、中を開くと全面銀箔地である。開いたところに「噌々其□の落款がある。金銀の鮮やかな対比、色数を絞ったデザインなど、さまざまな形がある工芸作品の意匠家としてのセンスが光っている。
其一の《道成寺図凧》《達磨図凧》は、いずれも「噌々」期、四十代前期の気迫みなぎるもの。
「御年玉」と書かれた杉箱がともに伝来、「金枚邑画狂其一筆」の署名があり、蓋裏にも羽根図を描く。お年玉に凧をもらうのは江戸の武家の子の習わしだが、其一の凧を得だのは誰か、興味深い。
其一の「達磨図凧」「道成寺図凧」は、隷書で「其一」の署名と「噌々」(朱文円印)。孤邨の「天女図凧」は【孤村書】」の署名と「藤原威信」(朱文重郭方印)。三点とも裏面に「おやちばし丁子屋金蔵」の印がある。
「御年玉」と書かれた杉の箱がともに伝来、「金枚邑画狂其一筆」と「英一珪信重筆」の署名がある。蓋裏にも其一が羽根図を、一珪が糸巻図を描く。「金枚邑画狂其一筆」の署名は初見で、下谷金杉の石川屋敷に住んでいた事を示す。「画狂」との自称は「画狂人」と称した北斎を想起させ、迫力ある凧絵の図様とともに其一の気概を感じさせる。