直木賞受賞作家・乙川優三郎が朝日新聞で連載していた時代小説。
兄と共に棗(なつめ)・櫛といった小物に描く蒔絵の下絵職人として、江戸の当代一流の蒔絵師羊遊斎に弟子入りした理野。何事にも真剣に取り組む女蒔絵師の制作に対する苦悩や人間関係の葛藤を、
鈴木其一を始め実在の絵師、原羊遊斎や中井胡民、酒井抱一を絡め、江戸の四季の風情と合わせ丁寧に描きあげている。
http://yarouyo.jp/readbinder.php?bno=45&pls=1&prc=1&rcn=16 理野に向けられた絵は小さなもので屏風の縮図のようであったが、画面の半分は染めたような朝顔の花群であった。群青の花と緑青の葉がおおらかに渦巻く、鮮烈な色彩の群れであった。満開の朝顔は中心が白く、敷き散らしたように描かれ、一様に色の風を吹き出しているが、訴えてくるのはそれだけで作意も情緒も感じられない。ゆったりとして明るいという意味だろうか、片隅に噲々其一と落款があった。
彼女は目を見開いて凝視するうち、こちらが朝顔の白い目に見入られているような気分がして、ああこれか、と思った。絵は人が描き、人が鑑賞するものだが、心情を重ねるものが何もないために逆に見られているように感じるのだった。男の目も彼女をみていた。批評は慎重にすべきであったが、唇からは率直な感想がでていた。
「そこの朝顔があるというだけで、鮮やかな季節のほかには何も見えません、のっぺらぼうで、着物の絵柄のようであり、何か刺々しい礫のようでもあります、其一さまの絵ですね」
彼は微かにうなずいたようであった。
同じ色の朝顔の花群は人間の連のようにも見えて、どこでどう繋がっているのか、渦巻きながらそこここで蔓の先が躍動している。にぎやかで明るく、ゆったりとして優しく、それでいて痛さを覚えるのは傷口に沁みるような色彩のせいであろう。溢れ出る言葉は其一を喜ばせて、顔をあげると彼の目も笑っていた。この丹青や蒔絵を通して打ち解けてゆくときの雰囲気は互いに親しいもので、共通の喜びを確かめ合ったり、直感で相手の苦悩を見抜いたりしながら語り合う愉しみは、いつのときも変わらなかった。(本文より)