尾形光琳生誕350周年記念「大琳派展」継承と変奏より
「風神雷神図」比較俵屋宗達
尾形光琳
酒井抱一
鈴木其一
鈴木其一は、付き人として、抱一の殿様らしい我侭に振り回されながら、側近く仕えていた。無理な代作を頼むことすら平気な抱一の手紙が残っていることから、抱一作品も其一など弟子を動員して工房的に制作されていたものと考えられる。
其一は、抱一の没後、堰を切ったように個性を横溢させた作品を描いていく。それはもはや宗達、光琳の先蹤に倣うものばかりではなかった。「群禽図」のような文晃風の江戸南画的筆致を取り入れた作品や「暁桜・夜桜図」のように四条派の作を思わせる叙情性溢れた作品もある。
朴に尾長鳥図 大きな葉を特徴とする朴の木とその枝に止まる尾長鳥を描いた花鳥図.朴は、大きな葉と花を特徴とする高木で、描かれることは少なく、「伊年」の印を捺した屏風風に描かれたものがあるが、伝統的画題といえるものではなかった。絵具と墨とを滲ませた「たらし込み」による没骨で朴の梨の厚い質感を表現しようと試みたように見られるが、実際には細い輪郭線が取られているそのため曖昧さを排除したようなシャープな印象となり、画家の冷静な眼差しがうかがえる。斜めに伸ばした技に鳥を留める構図は、南蘋派の影響を受け、四条派など江戸時代後期に一般化したものだか、画面いっぱいに大きく花木を描き、尾長鳥の手前に葉を重ねる構図は新鮮だ。
テーマの選択、色彩感、大胆な構図、そして客観的な画家の目線が、近代につながる其一作品の特徴をよく示している。 (田沢裕賀)
寿老・大黒・恵比寿図 円山応挙が描いた三幅対を模写したもの。中幅の「寿老図」には、「源仲選筆」と記されている。抱一の門弟で雨華庵四世を継いで明治期に活躍した酒井道一(1845~1913)の箱書きが添っている。
寿老人を中幅に、左右に大里と恵比寿を配する、吉祥性を好んだ円山応挙らしい作品。人物の描写はもとより、松の描写、鶴の描写など応挙と見まがうばかりの出来で、わずかに恵比寿が座る岩の筆さばきや松の枝先に円山派とは違う画風を見る程度で、其一が応挙作品をそのままに写そうとした姿勢がうかがえ、その模写技術の高さを知ることができる。
其一は、抱一の画風のみならず諸派作品を学んでおり、特に円山派・四条派の影響が見られる。本図は応挙学習の具体例として貴重なものである。
其一には、本図とほぼ同じ「寿老・大黒・恵比寿閔」が他にも知られているか、そちらは応挙風を残しながらも、一部に其一らしい作風が加わっている。(田沢裕賀)
東下の図 「伊勢物語」第九段で駿河国に至った業平は、仲夏の終わりになってもまだ雪の残る富士をみて、その高さに驚き「時知らぬ山は富上の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ」と詠う。表装の天地には上に満開の桜、下の根元には桜の花びらが散り、土筆や杉菜が生え、本紙(本来の画面)のまわりには、燕子花、沢潟、楓、萩、女郎花、水仙、藪柑子など夏秋冬の花々を揃えている .画面の周囲を描表装によて四季の花々をめぐらせて、琳派の先達が描き継いだこの場面を寿いでいる。 (松嶋雅人)
歳首の図 年の初め、年神を迎えるために飾る正月飾りが梅の枝に掛けられている。本来の絵が描かれる本誌部分の周囲に旭日と紅日梅が其一得意の描表装でにぎやかに表されている。正月飾りは、伊勢流の紙垂、譲葉、裏白、注連縄、藁のすべて縁起物である。一文字(本紙の上下部分)には青地の上に金泥で桧葉が描かれている。大きく余白をとり、鶯の存在感を際立たせているが、よく見ると本紙部分に描かれているのは鶯たけで、正月飾りは本紙の外にあって、画面上に重なるように描かれているのである。 (松嶋雅人)