釈迎三尊十六善神像十六善神は、『大般若経』とそれを受持する人を守護する薬叉神のこと。大般若会の本尊・釈迦三尊の脇侍として一図に描かれることが多く、それに大般若経をインドから中国へ請来し翻訳した玄奘三蔵、般若経の守護神で玄奘を助けた深沙大将などが加えられることもある。本図もそうした伝統的な図様を踏襲しており、画面中央に台座に坐った釈迦如来、その右側に像にのった普賢菩薩、左側に獅子にのった文殊菩薩の釈迦三尊像を描き、その左右に八体ずつの善神と、笈を背負った玄奘、赤い鬼神形の深沙大将、常啼菩薩、法涌菩薩を描いている。江戸時代の仏画に多く見られる、平明な形と色彩を備えた造形となっている。(沖松健次郎)
三十六歌仙図光琳の三十六歌仙図から琳派の絵師たちが描き継いだ画題である。常套的ともいえるその両面に、其一は表具まで丹念に描き込んで描表装とした。抱一と弟子たちがしばしば用いた手法である。天地(表具の上下)には白地に鮮明な青波を描き、その上に赤、青、黄、緑で彩った扇を流し、中廻し(本紙の周囲)には連続模様の蜀江文が極めて細密に描き込まれている。歌仙たちの衣服も色鮮やかで、先行作品とほぽ同じ色が使われている。しかし掛軸の縦長構図としたことで色彩の配置に乱れが生じてしまうところを、束帯の黒の連なりによって統一感をもたせるように配置しており、其一の卓抜した色彩構成の技が示されている。 (松嶋雅人)
吉原大門図大門から吉原に入った仲の町通りを東側の江戸町二丁目側から描いている.七軒茶屋「山口巴屋」に花魁が呼ばれ、芸者の三味線で酒が交わされている.大門から入る頬被りをした白髪の老人、二人禿に店の者を連れて上客の迎えに向かう花魁、それを見る粋な姿の若侍、仕事に向かう按摩、既に酒に酔って脇を抱えられる者の姿もある.浮世絵師が描く吉原の隆盛を謳い上げるような作品ではなく、そこに集う人々の種々相が客観的な視点から写しだされており、英一蝶以来の群集模写の系譜上にあることがわかる。
同様に吉原を描いた作品に、其一25歳にあたる交政三年(1820)に描かれた「春宵千金図」がある.文政八年刊行の「花街漫録」では、抱一が序を記し、其一が挿絵を担当した。其一の遊女図に抱一が賛をした作品も残っている。吉原を愛した抱一の付き人として其一も、若き頃吉原に出入りをしていたと思われる。「其一戯画」と署名し、この種の画題を一般的画題と区別していたことがうかがえる押印には「毀誉不動」の文字かあるが、この印は他に使用例がない三十歳前後の作品と考えられる。 (田沢裕賀)
雨中桜花楓葉図 雨に濡れる桜と紅葉する楓の春秋のある一時を淡い色彩で清清しく描いている。一其は、単に花木を描くだけでなく、風雨や朝夕といった時候や時のうつろいを添えて、時間の感覚を鋭く意識して、視覚的に対比させた作品をしばしば描いている。春と秋の対比として桜の枝は柔らかく雨にしなだれ、楓は技を張る。枝振りの描写や雨の降る角度を違えることで、それぞれの雨水の温かさと冷たきの区別まで繊細に表わしている。薄く掃かれた墨で表わされた雨足や、桜、楓の形は線描を用いないで面的に表わして、たおやかな画面となっている。 (松嶋雅人)