群禽図左右幅にそれぞれ十三種・十三羽、合計二十六羽の鳥が描かれる。興味深いのは、ほとんどの鳥か、博物学的正確さこそところどころ欠けるものの、ほぼ種が同定できるほどリアルに描かれていることである。左幅はミミズクを中心に猛禽類などを小鳥が野次る「モビング」という現にある鳥の行動を描いているようにみえ、そのような光景を実際に見て興味をひかれたのか、あるいはそのような鳥の行動を知っていて何らかの意味を込めたのか。ただし、述べたように鳥そのものを前に厳密に写生したものとはいいがたく、屋久鳥以南の南方の鳥も含んでいることから、先行する何らかの写生図譜、粉本のようなものを参考にしたものと考えられる。
ここで思い出されるのが「孔雀立葵図屏風」を描いた光琳の鳥類写生図巻で、これを直接写したとはいえないが、ミミズクの描写などには相似性がみられる。
落款の書体から其一がのびのびと画風を展開してゆく四十歳台後半の作品とみられが、樹木や葉の描写は琳派というよりも、江戸後期文人画に近く、後期琳派の幅広い展開をうかがわせる一方、光琳にもみられた自然物のもつリアリティヘの志向も潜在させていたことを表わす注目すべき作品といえよう。 (小林達朗)
雪中竹梅雀図紅梅と竹が雪化粧するなかで、雀が戯れている。花鳥図に小禽が飛ぶ作品を抱一は十二ヶ月花鳥図などでしばしば描くが、其一はそこに雨や風を取り入れる。さらに対幅とした作品で、各々に時候の花鳥をとり込んで、雨風といった気象は共通させながら、季節を対比させるように描く。ここでは雪に注目したことで、季節感を一層先鋭に表現している。竹葉に積もった雪が落ちた一瞬の光景を切り取った独特な形象が表わされている。 (松嶋雅人)
富士図扇面貼付薄図 光琳筆とされる「富士図扇面」を貼り、その地紙に其一が金銀泥で薄を描き添えることで新たな作品となっている。
光琳による「富士図扇面」は好まれたようで、何点かの作品か知られているが、中でも「扇面貼交手筥」に貼られた「富士山図」がその代表とされている。本図に貼られた富士山図は、総金地とした左側に富士を寄せて描いているが、落款等は無く、実際の富士山の景色と同じように裾を青くして、上部に雪を残している。
扇の折れ跡があることから、もと扇として仕立てられていたものを、其一が薄図を添えて改装したものと知られる。この改装によって、富士図が薄野原の中に見えるものに性恪を変え、薄と富士山の組み合わせが、『伊勢物語』の第九段「東下り」から第十二段「武蔵野」にイメージを広げることになった。薄図には、左隅に目立たないように金泥で「菁々其一」と記され「祝琳」の方印が金泥で捺されている。 (川沢裕賀)
蔬菜群虫図茄子と胡瓜が実り、添木とされた竹に雀が止まり、蜻蛉や蛾や蜂が群がる。不思議な秋の菜園を描く本作品は、植物の下方に穴のあいた病葉が描かれるなど、伊藤若冲の作品との関連が指摘されている。人工的なモテティーフの形と色彩は、まるで造り物の植物や昆虫が生き物のようにみえるという倒錯した感覚を与える。葉々の深い濃さが画面全体を覆うなかで、胡瓜の葉に止まる蜻蛉と、地面を這う蛇苺の実、そして印章の朱が画面を引き締めている。独特な造形感覚を色濃く示して、同時代絵画のなかで異彩を放っている。 (松嶋雅人)
雑画巻 巻頭から、福寿草・梅・蒲公英・蕨・薊・菫・桃・桜・燕子花・亀・福禄寿・鶴・牡丹・水葵・菱・唾蓮・河骨・芙蓉・萩・百合・桔梗・女郎花・葛・水仙・籔柑子の二十五図を水墨のみで描く。草花をほぼ季節順に並べているが、各図の連関は薄く、中ほどには福禄寿と鶴・亀の吉祥図様が配されていて、全体としては絵手本的構成となっている。スピード感が快い筆遣いは的確で、筆線や墨画自体の美しさを追求しようとした其一の志向がよく現われている。礬砂の引き方にも工夫が凝らされ、たらし込みに似た効果を上げている。
「其一筆」という草書体の署名や「錫雲」の朱文方印の使川などから、文政年間の若描きと推定される。 (松原茂一)