「僕たちの未来像」
水盛 七井 「青年よ、すべからく大志をいだけ!」
これはいうまでもなく、札幌農学校の教官であった、クラーク博士が、日本を去るに当って、学生達にいい残した言葉であります。明治時代の古き言葉でありますが、これは、また現代にも通じる、生きた言葉でありましょう。
さて、私達は、それでは、どのような志をいだけぱよいのでしょうか。ただ大志をいだけ!といわれても、具体的に、どんな志をいだくべきか、それを今すぐハッキリと認識できる人は少ないのではないでしょうか。今、私達の志、すなわち人生の目標はどこにあるのでしょう?
出世? それも結構でしょう。「赤と黒」の主人公ジュリアン=ソレルは、出世の野望のかたまりでした。当時のフランス社会にあって、出世の最高目標とされた、軍人か、僧侶か、その両方の出世街道をひた走りに走って、ついに自ら傷ついて倒れたのであります。
しかし、現在の私達に、このような出世の夢が、かけられるでしょうか。
なるほど、現代においても、出世の夢は少ないながらも残されております。たとえば、松下幸之助氏の自伝を読むと、一電気器具の職工から、天下のナショナルに発展した偉大な成功談が書かれてあります。
また、政活的な権力を得ようとするならぱ、努力次第によっては、日本国民のだれもが、内閣総理大臣になる道は、日本国憲法によって、厳として保障されているのであります。しかし、それが私達のいだくべき大志であってしかるべきでしょうか。
私達は、明治の昔の青年と違って、現実を見る目を養なわれております。松下幸之助氏の財産が、多くの搾取の上に成り立つものであることを、社会科学が教えてくれます。
また、政治的な地位が、かのタバコ業者を踏台にした某議員のように、卑劣な手段で得られるものであることも、マスコミ媒体を通して知らされています。
それらと考えあわせるとき、現代における財産や、政治的な地位の獲得が、はたして私達、純真なる青年の夢となり得るでしょうか?
若人は大志をいだけ、それはまことに名句であります。だが,どんな志をいだけばよいのか、この問題に直面した場合、私達は、はなはだ当惑せざるを得ないのであります。
思えば昔の青年は単純でした。「剣と筆とをとり持ちて、一たび起たば何事か、人世の偉業成らざらん。」とうたった歌が、あります。剣は、戦争を、筆は、政治を意味します。筆と剣に人生をかけることのできた者の若者はむしろ幸福だったといえましょう。
ひるがえって、私達は、ベトナム戦争やインド・パキスタンの紛争・南北朝鮮の悲劇を見るとき、また私達の民族が経験した太平洋戦争の経過、結末を考えると、剣がいかにおろかな行為であるかをしみじみと知らされます。
それならば、先日この世を去られたアフリカの聖者といわれるシュバイツアー博士のように、民衆のために生涯をささげる、これもたしかに人世の偉業でありましょうしかし、私達凡凡たる若者が将来夢みるにしては、いささか壮大すぎて、それに皆進めというのは無理ではないでしょうか。
さて、このように考えてきますと、私達は、いかなる大志をいだくべきであるか、甚だ迷わざるを得ないのであります。
ひるがえって考えてみますと、私達高校生のおかれている状態は、いうならば、気体から個体への過渡期、すなわち流動的な液体ともいえましょう。
幼年期、少年期は、わけもわからず本能のおもむくままに行動できる、いわば気体であります。それがやがて、社会という冷たい環境の中で個体とならねばならない、その中間の流動期に私達はあるのであります。
冷厳なる社会は、私達を一定の鋳型にはめて固体化しようとして待ちかまえています。ところが、その鋳型が,戦前のように一定せず,社会の方でも戸惑っていることは、文部省の描く期待される「人間像」が甚だ曖昧であることからもわかります。
とにかく、私達は、好むと好まざるにかかわらず、社会という鋳型の中で、遠からず固体化される運命にあります。
この際、私達は、与えられた鋳型のままに個体化すべきか、もしくは、自分自身のえらんだ形に固まるべきか、あるいは、永久に半流動体のままで存在すべきか、それは私達に選択の自由があるのです。これは戦前と違って、私達の持っている大きな特権です。
戦前は、忠君愛国というような「教育勅語」的な鋳型があり、青年は徴兵制度という熔鉱炉によって、むりやりにその鋳型に固体化されていたのでありますが、今の私には、少なくとも自分の鋳型をえらぶ自由があるのです。
しかし、その自由に選ぶことのできる鋳型も、大体種類は決まっているようです。たとえば、父や母の用意した鋳型は、安全なる大企業の社員となって、小市民的な生活を求めることにあります。それは確かに平穏無事な人生でありましょうが、私達若者の夢みる将来としては、いささか物足ないものがあります。
また、今の日本政府が、私達若者に求めるものは、中立的平和国家の温良なる一市民たることであります。しかし、この中立平和という美名のもとにかくされているものが何であるかに思いいたる時、私達は何らかの抵抗を感じずにはいられません。
このように考えてみますと、はたして私違は将来どのように固体化すべきであるか非常に迷わざるを得ません。この迷いも、青年期の一つの特徴であり、本質でもあるのでありましょう。迷いが高じて、ゆがめられた時、それは様々な形となってあらわれます。ライフル魔のような狂暴なものもあれば、ビートルズとか、エレキギターに熱中するというような具合です。
しかし、迷いは所詮迷いにすぎません。
迷いの中から、自分の進むべき道をさがし出すことが大切なのであります。
果たして、何をさがし求めるべきであるか、それは、各自が、自分自身、おのれの判断によって、決めるべきものでありましょう。 (文化祭弁論原稿)
高校予備校化について
安 本 冊 則 いま、盛んに高校の予備校化ということが言われている。予備校一文字通り受験のみの教育をする所で、そこには情操教育も何もない。あるのは何如にしたら志望の大学に合格するかという事である。こんな雰囲気に満ちた場所で健全な人間関係が結べる筈がない。ある予備校生に聞いた話であるが,「浪人も一年位は皆党悟しているから、そんなでもないが、二年,三年となるにつれて人間がだんだん卑屈になってしまう。」当り前である。
――クラブ活動など一切せず、授業が終わるや否や家へはせ帰る。こんな者には当然、友人もでき難い、類は類を呼ぶで、一応集まりはするものの、深い付合にまでははいらない――。これは考え過ぎで、そんな事はないと怒る人もいるかもしれないが、案外当人は気付かないものである。御注意あれ。
高校とは、純然たる高佼教育をする所である。各校の校風を教育して世へ出す。いわば人間形成の一端をなすものである。それを〝東大に何人〟で評価されたのでは、たまったものではない。こんな道理は教育者の方々には、言わずとも良く判かられている筈であるが、これを見事にコクフクされて、ただひたすら世間の評価をあげんとなさっている。しかしこれとて我々があえて反抗せねばならぬ程のものではないと思う。なぜなら受験するのは我々だし,校風を造るのも我々だからだ。
戦前の高校教育を受けたある人は言う。
「今の学生は利己的で他人への思いやりが少ない。そして情操に欠けていて、人間として確固たるものを持っていない。昔はそうではなかった。学生同志の結びつきも、一人一人の生活にも、もう少しゆったりとしたものがあった。」この評は実に良く当っていると思った。では我々はどうしたら良いのか。私は、まず、高校生活をエソジョイする気持、これが大切ではないかと思う。クラブや生徒会活動をするのも良い、でなければ、高校生活にふさわしい何かを楽しむ、そして、それらは一生懸命やらなければならない。中途半端では絶対にいけないと思う。その他の事では芸術的なもの文学、美術、音楽等に触れ、心を豊かに養うことが必要であると思う、ともかく、我々は真の高校生になる必要がある。何でも良い、機会があったら何でも力いっぱい取組んで闘ってみろ。かく言う自分も生活を楽しみ過ぎる位、楽しんでいるのである。高校生活万歳である。
先生と生徒2年1組
先ず決まっている〝先生と生徒〟のテーマを討論しようとしたら、範囲が広すぎ意見を出しにくいようなので、中学生時代に考えていた高校の先生のイメージや先生に対しての要求等を中心に討論を進めていった。その一部を紹介すると、先ず最初に出たのが、〝もっと自由だと思った〟という意見である。その内容は、「服装・態度等にうるさすぎる、もっと生徒の意見を聞いて欲しい。」「先生の圧迫が強すぎるので生徒の自主性がなくなる。」「義務教育ではないのでもっと自由にして欲しい。」等であるが、やはり生徒の方にも多分に責任があると思う。又それについての同意見も出た。例えば,「生徒白身やる気がなければだめだ。」「生徒の自主性が足りない。」
「生徒が中心になることが大切」等で、生徒の方にもやる気があるようだが、きっかけがつかめないのだろうか。又個人個人によって先生の見方は様々だが、「中学の先生より高校の先生の方が生徒を自由にさせうるさくなくて良い。」という意見が出た次に先生と生徒の親密性についての意見が出た。先ず一番多かったのは、「中学校より親密性が薄い。」という意見である。義務教育でないし、先生も生徒を一人前として認めてかまわないのかもしれないが、親密性が薄いというのは確かである。親密性が薄いと言うのは生徒を自由にするというのとは違うと思う。親密性があついというのが自由を束縛するということと違うのと同じだ。
又親密性が欠けている証拠に、「先生の名前も知らないし、又覚えようという気さえ起らない。」という人もいる。しかしもっと先生と仲良くなりどんどん先生の名前等も党えてゆきたいというのが大部分の人の気持だろう。又クラブに対する先生のあり方で、「運動部では良く顔を出すが文化部では年に一度位しか出てこないで相談したい時でもできない(例外多分にあり)。」という意見が出たがこれにも反対意見が出た,「先生が出て来ると自主性がなくなる。」そうだ。両方とも、もっともだと思う。要するに生徒が一つとなって自主的に活動することが必要である。
2年3組
「先生と生徒」というと「なんだ、またか」「変りばえしねえな」と、口走る人が多い現在、足跡の編集の為?の心を持ちつつ皆討論に入った。まず我々は先生に対してどういう気持を持っているか、そして何を望んでいるか、自分の腹の切開にとりかかった。メスを入れたとたん(?)飛び出して来たのは,一般的なもので,「受験の事ばかり言って、我々と心から話そうとしない。先生だってなじみにくいんだ。」「中学と比べるとコースに分かれていて,クラスとしてのまとまりがなく担任という存在がピンとこないし,ホームルームの時も多くの場合伝達事項ばかり。」「職員室だって入りづらい。立派な用件があるのに冷たい態度をとる。」その他もろもろ。では高校の先生とはこんなものだろうか。これにささやかな抵抗をみせた生徒もいる,「いや違う。それは我々が先生に頼って行かないからだ。行けば必ず受けとめてくれる。」と。その他――2年3組の腹からは――「オレ達はもう一人前になった。故に自分で物事の判断がつき解決出来るようになったから先生は……。」と言うような大胆不敵な者もいた。さで、では先生と生徒との距離を無くする対策は?と聞くと、「先生の方から一言声をかけてくれたらな、あまりしつこいのもいやだけど。」「もっとやさしくして欲しい。」「フォークダンスも一緒にしてほしい。」なんてあまったれる人や,「グループごとにでも先生と話す機会を作ってだんだんと。」「個人面接は?」という思考派もいる。距離が長いのはどちらに責任があるからという問に、二十五人が生徒、二人が先生であったのには驚いた――文句ばっかり言うのに。これが先生と生徒の間を長くしている根本原因ではなかろうかとも思われてきた。さて、討論は一応終わったが、健康な腹をしていた我がクラスは、これからどう変るか、じっくりみつめよう。今迄消極的だった先生と生徒の交流を高めながら……。
2年7組
学校生活において、私達生徒が先生から受ける影響は少なくはないでしょう。しかし、それも最近大分変ってきているのではないでしょうか?
私達は、もっと先生と接する機会があったらナァーと思っています。又、最近の先生は生徒に対して情熱がなくなりつつあるという意見も出ました。その原因として三つの意見が出ました。
一つは、私達生徒側にも、情熱が足りないという理由と、二つ目には、戦前の先生とくらべて,教科外雑務が多くなったこと。先生の教育者としての質的な低下など三つ目に、聖職という意識がなくなってきていると、三つの理由がありました。
確かに、最近の先生は、賃金労働者化して、決められたプログラムを毎日忠実にしゃべる機械となった傾向もある事は否定できません。私達は本当に重要な人間的な触れ合いが少ないのです。真に尊敬出来る先生を求めているのです。未来の日本のにない手に、より人間的な教育をほどこすという信念に燃えている先生、私達は、そんな先生が私達の理想の先生なのです。そのような先生にふさわしい、物事に情熱を持ちファイトを持ってぷつかっていく闘志のある生徒になるのが、私達の目標ではないでしょうか?
この際、先生と生徒、両方の立場で、この問題を改めて考え直す必要があるでしょう。
これが二年七組H・Rの結論です。
先輩と後輩2年4組
先輩と後誰、とは口常よく使われている言葉ですが、いざその言葉を吟味してみるとなかなか焦点が定まりませんでした。しかし、その中で我がクラスでは、鷺高での先輩・後輩の姿を捕えてみました。
まず最初の人の意見。
「先輩は,一年先に生まれたからといって、いばりすぎる。」という意見がでましにが、この意見に対しては、反対者が多数いました。そして、一般的な意見としては上下関係、つまり先輩と後輩の関係は、もっときびしくあるべきだという意見が圧倒的でした。これは、国情として上下関係が乱れてきているせいもあろうということを付け足したい。そして、このきびしくとは〝礼儀を正しくせよ〟ということです。
文化クラブでは友だち同志みたいな感じで話し合っているため、先輩という感じがわかないので、礼儀作法に支障をきたすとのことです。又一方、あるクラブでは、先輩がきびしくないと、将来後輩がきびしくなれない。すると、そのクラブは堕落していってしまうと言う。つまり、後輩は先輩に影響されるということになる。
結局、現状の先輩・後輩の関係では、〝先輩とは後輩に、色々の面でアドバイスをし、先輩は後輩に、うまく使われて、その上で良い先輩・良い後輩になろうとするのが、良いだろう。そして、もっと区別をつけて、各々が満足できるようにするのが良いのではなかろうか〟という結論に達しました。
2年8組
先輩と後輩――小学校のうちは、まだそんな意識はなくても中学ともなれば一応何かを感じ始め、高校、大学又は職場……と相当な年輩になるまで(?)つきまとうものである。その先輩・後輩について、我々二年八組の諸君はどの様に感じているだろうか。
まず、我々が先輩と接する機会の多くはクラブである。ということで、クラブにおける先輩後輩について話しあってもらった。しかし、中央委員に指名されなければ答えず、又その答もきわめて明瞭簡潔なもの。戦前は、上級生の足を洗わされただとか、ことあるごとにぶたれただとかそういうことがよくあったそうだが、今は何でも平等な世の中になって、先輩といっても、ほんのちょっと先に生まれただけだ、と思うのが常識らしい。地方の高校や私立では、まだ,上級生が下級生をいじめるようなこともあるそうだが、わが鷲高では、先輩の肩をたたいでヤア。とやるような雰囲気である。そんな雰囲気になれっこになってしまって、先輩といわれてもピンとこないのだろうか。
中には「やはり先輩をうやまう気持を失ってはいけないよ。」という声もあったが、大部分の人は、今さら取りあげるなんておかしい、とでも言いたげな表情。M君の「ワソダーフォーゲルの事件もあったことだし、あらためて考えてみる必要があるのではないか。」という意見以外、一人もこのテーマに積極的な賛成を示す者がいなかった。
二年八組の諸君が無関心すぎるのか、テーマがピンとこないのかわからないが、我々担当委員が五十分の討論(?)を聞いていて感じたもの、それは。
〝戦前は遠くなりにけり〟という事であった。
2年9組
学校においての先輩・後輩と言っても色々あります。私達のクラスではクラブでの先輩・後輩を取り上げてみました。各クラブごとに話してもらいましたが、全部書き切れないので、私の考えでまとめてみたいと思います。
先輩、後輩の必要性を認めているのは、運動部の人で、文化部の場合、クラブの方針がそうであるのか、どのクラブでも先輩・後輩という関係はないそうでる。
運動部が先輩後輩の関係を認めているのは,
-,先輩がいるとクラブがしまる。
二,技術的な而でも、先輩がいると良いという考えから出ていますが、それも練習の時だけで、練習外では勉強の事や人生の事等を相談できる、良い兄さん、姉さんであると言っています。それは文化部でも同じで、ただ顔を出しているだけでも先輩がいると安心できるそうです。
文化部で先輩・後輩の関係が強くない理由に、先輩が少なかったり、出てこなかったりして心のつながりが少ないというのがありました。クラスの人の中には「先輩面されると頭にきちゃう。」という人や、「縦のつながりより、横のつながりを持ちたい。」という意見の人もいました。
又,二年になってみて後輩をどう思うかという問いに対しては、運動部、文化部共に礼儀や技術を教えるのは難しい、という意見でしたが、中には「先輩に頼ってもらいたい。」というのや「技術の面で後輩になめられる。」という意見がありました。
なお、クラブに入っていない人に、クラブにおいての先輩・後輩についてどのように思うか、聞いてみたかったのですが、時間がなく、聞けませんでした。
親と子2年2組
〝親と子〟という題で肘議する事こなっていたがあまり抽象的なので、特に〝親と子のトラブルの理由〟という題で討論会形式にした。
しかし、僕達の組の特徴か、それとも余りにも話すのが恥ずかしいのか、意見の発表は不活発だった。
第一に、自分から話す人は全然なく,司会が何人かに指名して、話させた。
男子共通のことは、トラブルを起こしても自然に仲が良くなってしまう事であった。
女子は、圧倒的に口げんかが多い様だった。
それにしても我が組は、討議等になると断然意見が出なくなる。
断然意見が出なくなる。
いちもはグループ意識が強いと言われる程仲が良く、お互いの気持ちも良く分かっているだろうし明るい雰囲気なので、意見が出ると思いきや、いざ改まって皆で討議する段になると意見がまるで出ない。
討論会の時の組の雰囲気を取り上げて見ると、司会が其の日の討論内容を言う。全然意見が出ない。しかたがないので大体男女交代で指名する。そうすると理由を言う。又しばらく沈黙が続き、又指名する、話す、そして沈黙;・・・・。
という様なわけである。
最後に討論会で或る男子が、「いくトラブルを起こしても、結局両親は僕達を愛しているんだし、本当のケンカなんて無い。」という所で時間切れ。
私達のクラスには、クラブ活動は良くやるし、何事においても積極的な人達が多いのだから、もっともっと自分の意見主張を述べてもらいたい。
しかし今度の討論会、短縮40分は短すぎた。
2年5組
親子のあり方をクラスで討議したところが、(半ば強制的であったが)発言は普段より少しばかり多く出た。聞いてみて驚いたことには、親と話さない人が多いのである。
機会がないのかも知れないが、積極的に努めるべきだろう。何事も話し合いから始まるのである。しかし、A君は話さなくても気は通じるものと言った。それは、それで良いのだ。お互いに信じ合っていれば……。そういう意味で親子の関係は、教師と生徒のそれに似ている。先日、テストの成績を記したプリントをもらった。そして、親の検閲の印を付けて、また返すことになつた。これなど生徒を信頼していない良い証拠だろう。無論、先生をしてこういうことをさせたのは生徒にも悪い所があった。学校からの通知くらいは親に知らせてやっても良いではないか。それでなければ、教師と親の両方の信頼を裏切ることになる。
親には,その他の面でも気軽に話せるような人が良い。しかし、実際にはうまく行かぬものである。だから、一方に親は親としての権威のある人、と言う者が出てきたのである。ここでクラスは混乱した。「権威」の意味である。発言者の真意を理解していた人もいたが、一方次のように考えた人もいた。親は、特権というものを持ったなんとなく近づき難い者であると、「権利」と取ったのかもしれぬ。しかし、「ある程度の距離」を、ただ悪いという意味ではなく、尊敬を持った親と考えれば良いのではないか。
親の理想の姿は、友達のような面とまた「権威」を持つ方が良いとする面の、それぞれ相容れない両面を持つ者のことになるのだろう。
2年6組
私達高校生と親との最も大きな相違点は当然な事ではあるが世代の違いであろう。もう一つは、多くの親は私達が経験しない戦前の世の中を知っている、ということである。この世代も違い、育った世の中も異る親と子が、けんかもせず仲良くやっていけるものだろうか……。クラスの五分の三はなんとかうまくやっているとのことだ。だが、問題は残りの五分の二、この人達は来る日も来る日も親子げんかが絶えないのだろうか。それとも特にけんかというほどのことはないが冷戦状態が続いているということなのだろうか。
次に、どんなに仲が良い親子でも時には意見のくい違いも起きよう。それが、親にも自分にも一理ある時、それはどう処理されるものだろうか。女子の中には言いたい事も言わず黙ってしまうという人もいた。これと反対に最後まで我を張り通すという人もいたが、いずれも少数で、時と場合によってはという一般的な線にまとまった。中には怒りたいだけ怒らせておくという、要領の良い人もいる。もっともこの人などは自分の意見が通る代償としてなぐられるということだが。又,こんな原始的な方法ではなく,重要な事態には家庭会議を開き多数決で決める、という人もいた。これなどは理想的な方法ではないだろうか。
最後に現代の高校生に〝今どきの大人〟はどう映っているだろうか。「今の大人ははっきり二つのタイプに分かれている。一つはあまりにも変わってしまった今の環境について行けず、子供の面倒を見きれない放任型。もう一つはいつまでも昔に固執し子供を自分の型にはめようとする干渉型とであるが、どちらも子供をだめにしてしまう。」「欧米と比較して、日本の親は子供が小さい時は甘やかし放題甘やかし、子供に自立心が起きる頃になってしつけようとする。これは明らかに間違っている。」
「今の大人はもう考えが固まってしまっている。若い自分達が歩み寄らねばならない
だろう。」「母親の中にはずいぶん軽薄な人が多い。」等々。
だが、もし私達が二十数年前、こんな事を言ったとしたらどうだろうか。おそらく「子供のくせになまいきな。」と頭ごなしに怒鳴りつけられるのが関の山であろう。だとすれば、今私達が正面から親の批判ができるということは、親子の間がそれだけ開放的になったということにはならないだろうか。
世界
角田 陸男
君が ふっとまぶたをとじる その瞬間に
僕が 息を大きく吸いこんだ その瞬間に
世界は動くのさ 変わっているのさ
力強く 大きく 大きく
世界は 時計の歯車みたいに勤勉さ
決っして休みやしない
前へ前へと進むんだ
君が ふっとまぶたをあけた その瞬間に
僕が 大きなあくびをした その瞬間に
世界は 回っているのさ 変っているのさ
力強く 大きく 大きく
その瞬間には 大きな 悦びが
そして 深い悲しみが 起こるんだ
だけど世界は 義務があるんだよ
前へ 前へと行く義務がね
目をあけて 遠くを見てごらん
ほら 見えるだろう
バラ色に輝く世界が
明るい歌声で 満ちた 世界が
皆が 楽しく踊っている 世界が
だから 世界は 進むのさ
前へ 前へと 力強く 大きくね鷺高 365日4月8:始業式
9:入学式
10:対面式 お世話話になります!
1年生実カテスト (もう試験?)
12 :部長会
1年生知能テスト
13 :レントゲン撮影3年生
14 :クラブ紹介 多くてビックリ!
17 :大掃除
21 :身体検査
22 :中央委貝会
文化祭・足跡委員会原案作成
食券制(パン・イナリズシ)
゛早弁できないよ!とは誰?
27:2・3年生模擬テスト
5月1:開校記念日 二日も続けて休日とに!
9:同窓会総会
15・19:立合演説会
都議会級に発達は?
18:全校春季遠足
1年 湘南平
2年 真鶴岬
潮風と○○の気分で
過ごした一日だった。 3年 都内見学
デコボコ道だった。
20:投票日
21:発表 晴と雨とのいり混り日
生徒総会
20:中央委員会
同好会及び廃止に関する規約
29::3年進学講演会
〝現実はキピシイネ〟
6月2~5:中間テスト
8:就職懇談会 〝不景気は続きそう〟
9:新役員紹介
10:体育祭 駒沢競技場にて
青空の下でオリソピック気分!
陸上にバレーボールに見学と
一挙三得の日でした。12 : クラブ部長会
文化祭クラブ予算について
16 : 腸パラ予防接狸 授業中断はいい
けれど痛いのにはヤンナッチャッタ!
21 : 文化祭クラブ予算折衝
予算通りにやってね?とは誰かさん
26:就職懇談会
28:2・3年模擬テスト
誰がテストを発明したの……
7月9~13 : 定期考査 神様! 仏様!
19 : 大掃除
沖縄募金開始
20:終業式 (ああ楽しき休みかな)
7・8月24~1:海・山の生活(黒人急増?)
1~6:合同合宿 庭球部・パドミソトソ部・陸上部・バレーポール部女・卓球部
オリンピック強化合宿かと思いました!
9月1:始業式
サアー、やりぬこう!
8:1年生実カテスト 2・3年生模擬テスト
楽しきあとに苦ありとは……
9:部長会 部室Aについて・サッカー愛好会・文化祭・議長選出について
30:鷺高祭
10月3:鷺高祭 本校にて 新校舎も出来一段と進歩
8:クラスマッチ (バスケットボール)12 : 中央委員会
20:ゲーテの森募金
ゲーテの森も年寄りだから?
22~26:中間考査 月日のたつのはスピード化、忘れることもスピード化
今日はオーバーしすぎかな?
27:校庭落成式 男女バレーポール11月2:部長会 サッカー愛好会について
4:後期立候補受付開始
ソフトポール開始
5:予防接種 インフルエンザ
むし歯をくいしばってこらえました!
6:二年進・就講演会
今や我が身とは……
8:全定交流会
9:二年進学コースについて
〝ずいぶんともめましたっけ〟
11:全校秋季遠足 1年 鎌北湖方面
2年 子の権現・竹寺 3年 富士五湖方面 (最後の遠足)
13:第2回目 インフレエンザ
16:討論会 ポピュラー音楽について
成文化ならず、禁止されず、公認されず
結局結論は出なかったが、皆やる前より認識深まる。議長、寿命縮まる。17:表彰式 1位 3年2組 2位 2年4組 3位 2年2組
20:生徒総会
21 : 中央委員会
24 : 25立合演説会 応援者姿を消す。
26:投票日
12月1:始業時間 8 :40
暖房完備 (待ち遠しかった)
3:防火避難訓練
15~18:定期考査 〝身はさえども頭さえずなり〟とわね……
23:生徒総会
24:大掃除
25 :終業式
1月8:始業式 残り少ない授業 やっと身がしまる。
24~26:3年生定期考査 思わず言ってしまう がんばって!
27~31:三年生進路指導 テーブル・マナー
2月 謝恩会
18 : 大掃除
19~20:都立入学試験 全貝合格を期待する。 あの瞬間を思いだす。
26 : 入学者発表
3月6:卒業式 螢の光窓の雪…… きびしい先輩ともお別れ
泣けてきちゃった。 寂しさを胸に秘めて
9~12:1・2年定期考査 試験かな
18:大掃除 鷺高の大晦日なり
19:終業式