炎天下
角田 陸男
この俺の頭の上で照りつける
太陽が
俺を殺そうとしている
俺はキルを打つ
バシッバシッ
ボールを打つ鈍い重い音が
コートに響く
それ、どうした、しっかり打て!
腰が、ふらついているぞ、気合を入れろ、ジャンプがないぞ、
腕がさがってる! ――仲間の声がかすかに聞こえる、
額から汗が吹き出し目に入る
泥にまみれた手でぬぐうと
今度は泥が目に入る、
高く上ったポールに向って
俺は,挙を叩きつける
スナップをきかせて
休をくねらせて
俺には,何にも聞こえない、
広いコートにあるものは、強い光の太陽と
高く士.げられたボールそして俺
肩がつけ根からとれちゃいそうだ
手首はなまっていうことをきかない
爪の間には、うっすらと赤い血がにじむ,
俺の頭の上で照りつける
太陽が
俺を殺そうとする
俺は,ボールを追いかける
右に 左に 転がって転がって
俺を目がけて飛んでくるボールを
懸命に拾う
ファイト! ソレ! 最後まで追うんだ!
突っこめ! パスが悪い! 追いかけろ!
仲間の声が
かすかに聞こえる
フラフラになった俺の休に
ボールは、容赦なく飛んでくる
俺はボールを追いかける
走って走って 転がって、
ただ一個のボールに
俺の全神経が集中する
俺には何も聞こえない、
広いコートにあるものは
あの強い光の太陽と
俺をめがけて飛んでくるボール、
そして俺、
俺の頭の上で照りつける太陽が
俺を殺そうとしている想う
篠宮 ちづる 私の生活の中でぼんやりと過ごす時間の多いのに、今さらながら驚きます。最少限度の勉強時間を除いて、あとはとりとめもなくいろいろな雑念が入ってきます。高校2・3年になると特にひどくなりましたが、こんな時間が好きなものですからほっておいてあります。
最近、こんなことを考えてみました。もし私が鷺高に来ていなかったら、今の生活とどれくらい違った生活を送ることになっただろうか、と。考えてみますと、他の学校に行けば、それなりに結構満足のいく生活が送れたかも知れないと思います。「今の私の生活になくてはならない友人とも、知らない者同志として一生、何の芸もなく過ごしたことでしょう。」中学時代に何の気なしに、今考えてみれば本当に、何の気なしに決めたこの学校に入学したことによって、私の一つの方向が決まったのだと思うのです。
この学校に来ていろいろな人を知り、いろいろなことが起こり、いろいろなことを考え、今の私に至っているとすれば、一番もとにある人との巡り合いの偶然性というようなものが,恐ろしくなってしまいます。
いつまでも付き合っていきたいと思う人は、なかなかいませんが、1人でもそういう人がいると、その偶然というか運命に感謝すると共に、これからの人のめぐり合いを大切にしたいと思うのです。私が一生を通じて知り合える人の数は本当に少ないものです。現在の状態を考えてみても、親愛の情を感じるのはほんのわずかです。
ですからこそ、たとえ偶然であっても、何のきずなもなくても、今の友達を大切にしたいと思うのです。
ソワソワと落ち着かない春の日、私は学校の帰りに寄り道することを覚えました。家に帰るには早すぎるし、何もすることがないので梅ヶ丘という、きれいな地名の住宅街を歩いてみました。偶然に江古田公園という、東京の公園にしては広い所で,短い散歩道まである公園をみつけました。夕方までそこにいて、とても居ごこちが良かったものですから、次の日曜日に散歩がてら、また出かけてみました。
例のぼんやりとした時間をすごすつもりでしたが、そこで3才ぐらいの坊やを連れた大学生と、偶然知り合いになりました。全くの初対面でしたが同年代のせいもあって、学校の話やら、修学旅行のことやら、かなり話がはずみました。そのまま名前も言わずに別れたのですが、良い体験をした、と思いました。普段の生活では、見ず知らずの人と話をするなど、なかなかできないだけに、人の心というものを感じて、うれしくなりました。
話をもとにもどして、友人との関係についてですが、現在は学校が一緒だとかいうふうに、大きく環境に左右されています。何の関係もない人同志が、心と心の触れ合いから出発して友人という関係になれるのはあまり見られないようです。それには、かなりの勇気が必要でしょうし、それよりもそういう機会が、ほとんどないのです。
最初は偶然に知り合って、今は親友となっている人とのこととか、見ず知らずの人と、心の交流のようなものができたこととかを考えていると、私は世界中の人が大好きになれそうな気がします。
鷺高365日 4月8:始業式
9:入学式
11:対面式(2・3年生実カテスト)
12~13 :クラブ紹介(今年より2日制)
18~22::3年生修学旅行21: 1年生知能テスト
27:全校健康診断
5月1:開放記念日
8:同窓会総会
11:全校スポーツデー(駒沢競技場一体育祭)12:生徒総会(サッカー・部に昇格)
18:前期生徒会役員立合演説会
19:投票
20:発表(会長不信任で再選)
30:中間考査(6月2日まで)
6月8:再選挙立合演説会
9:投票
10:発表
20:ポピューラー討論会 結論出ず。討論会か口論会か?
22:ポピュラー承認さる(職員会議にて) 7月1:短縮授業開始
食堂新装開店
部室移動問題 (下旬・移動完了)
8~12:期末考査
19:大掃除
20:終業式
21~31:1・3年生講習
8月1~6:合同合宿
4~6:1年生山の生活(H・R単位で)
15~24:2・3年生講習
9月1:始業式
2:授業開始(15日まで短縮)
7:1・2年実カテスト
29:文化祭(杉並公会堂)
30:体育祭(本校校庭) 10月2:文化祭(校内展示)6:2・3年生実カテスト
23:中間考査
11月11:1・3年生遠足 2年生旅行の為の身体検査
15~16:後期役員立合演説会
17:投票
18:発表
21:2年生修学旅行
12月1:冬期問開始(8時40分始業)
14~17:期末考査
21:スケート教室(池袋スケートリンク)
23:大掃除
24:終業式
1月6~7:スケート教室(富士五湖)
9:始業式
26~30: 3年生期末考査
29:2年生実カテスト
2月23:都立入学試験
3月6~9:1・2年生期末考査
11:卒業式18:大掃除
20:終業式
特別企画
先生へのアンケートはじめに 「先生っていうのは、みんなまじめくさった考えをもっているよ。」というふうに思っている人は多い。ところがあにはからや、先生もやはり人の子だけあって、おもしろい考えや、変わった考えをもった人は意外と多い。そこで、我々はそれを実証するために「先生へのアンケート」というものをつくってみた。
なにしろインスタント構想だったので思うようにはいかなかた。しかし、先生方の協力を得てやっと完成した。
時代の移り変わりの激しかった時に、学生時代をすごした先生方の夢や希望と、現在の我々のものとくらべてどういうふうに違うか、よく読んでみてほしい。
最後にお忙しい時に、へんな質問をもっていって、いろいろと御迷惑をおかけしましたが先生! 御協力ありがとうございました
質問
1)高校時代、何になろうと思いましたか?
2)趣味は?
3)この世で一番こわいものは?
4)先生になった訳
5)大好きなことば
6)いつまでも忘れられないこと
7)尊敬する人上原 勉 先生(生物)1)禅僧
2)写真
3)特にない
4)勉強している間にその気になった。
5)無風流
6)最初に海をみた時の海水の色。
7)道元
甘利 周子 先生(英語)1)弁護士か、生徒に理解ある先生。
2)落ち葉を踏んで気のあった人だちとハイキングをすること。何も考えないで、雨にぬれた庭を眺めること。一人でお茶をたてること。読書をすること。
3)地震。戦争。
4)女性の職業として、母として、やり甲斐のある仕事だと思います。特に英語を選んだのは、女学校時代資格のある先生がいらっしゃらなかったので、程度も低かったし、一層勉強するならと奮発したのです。好きなのは,数学でしたが…。
5)「一期一会」「花は紅,柳は緑」「袖ふりあうも他生の縁」
6)戦争で主人を送り出したままになったこと。戦災で婚家先,実家とも全焼し、古本屋が開けるぐらいの本と思い出のレコード盤を全部焼いたこと。
7)秋山宗公先生(お茶の先生)。中村星湖先生(仏大学の先生)。歴史上の人物ならば北条政子。
新田 典子 先生(保・体)1)第一希望 女医。第二希望 教師。
2)親しい友とおいしい物を食べながら語り合うこと。
3)精神病
4)幼い頃からの理想であったこと。子供が好きで近所の子供たちを集めて遊ばせることが上手であり、また得意であったことなどです。
5)日々是好日
6)戦災で焼け出された僅かな荷物を、リヤカーに積んで、高田馬場から仙川まで夕暮れの焼けの野をとぼとぼと,引っ越した日のことでしょうか。
7)専門学校(母校)の校長。故藤村トヨ先生。
小林 隆志 先生(社会)1)「牧師となることを恐れ,教育家となることを恐れる」(阿部次郎・三太郎の日記)という言葉をもじって「教師と銀行員にはなるまい」と友だちと話し合ったものでしたが……。つまり,教師と銀行員以外なら何でもも良かったわけです。(4につづく……)
2)○良い音楽を良い演奏で聞くこと。
○一人で旅をすること。
3)「Wein, Weibund Gesdng」
(ワルツの曲名です。和訳せよ。)
4)その友だちは一流の銀行員になり,私は気がついたら…流の教師になっていました。
5)「詞にも歌にもなさじわがおもひ その日そのとき胸より胸に」(晶子)
6)あまりたくさんあるのでカタパッシから忘れちまうことにしています。それでも思い出しちまうことがありますが、それはナイショ。
7)自分にないものを持っている人は,すぐ尊敬しちまうタチです。
入江 泰三 先生(国語)1)戦時中は,軍隊に行って死ぬということが目前の事実のように思われたから、何よりも「生きておきたい」という想いで、暇々に読書したり童話を書いてみたりするのが生き甲斐であった。戦後、大学で文学を学ぶことから、生き残った人生を再出発したいと希った。
2)読書。自然に親しむこと。親しい人とビールを飲むこと。
3)天災、人の心(狂気・企み),蛇。
4)無能で恥づかしいが、文学を専攻した延長として勉強もしたかったし、文学につながって生きたかったから。少年少女の魂に魅力もあって。
5)真実一路の旅なれど真実、鈴ふり、思い出す。(白秋「巡礼」)
6)復員する車窓から平和な田園風景に見入りながら、これからは本当の生を生きたいと切実に想っにこと。
7)柳田 泉先生(早大の師)
池田 稔明 先生(保・体)1)医者になりたいと思った。
2)音楽を間くこと。スポーツ(バレーボール)をやること。
3)自分の心の中にある悪
4)やりがいのある職業と思ったから。
5)君は君,我は我なり,されど仲良き(実篤)。 どんな粗末な頭でも,自分で考える(大河内一男)
6)終戦の日。高校時代の親友。オリソピック東京大会。
7)人間としての生き方を教えてくれる人。
鈴木 午吉 先生(国語)1)(やはり)先生
2)旅行。将棋。
3)病気。怪我
4)良心的な生活が出来ると思ったから。
5)不自由を常と思えば不足なし。
6)子供の頃、封建的な片田舎で味わった不快な窮屈さ。
7)福沢諭吉。大地楽三郎(小学校時代の先生)。
柴田松太郎先生(地学)
1)科学者(こまかくは考えなかった。)
2)ブラブラ散歩すること。
3)軍国主義
4)自分の専門を多少なりとも生かす事ができ、また自分の勉強もできるから。
5)学問に王道なし
6)日米安全保障条約が自然承認された日のこと。
7)チャールズ・ダーウィソ
館野 受男 先生(社会)1)先生になりたかった。
2)音楽、特にグレゴリア聖歌
3)生徒
4)初志貫徹
5)特にない。美しいもの,真なるものが好き。
6)戦争体験
7)多数。しいていえば社会の礎石となるような人。
宮崎 尚 先生(英語)1)戦争中のこととて、将来の見通しも立たずにおりましたが、ゆっくり落ち着いて、研究・読書に没頭できるようになりたいというのが夢でした。
2)何事であれ,心身を解放してくれるものは好きです。
3)父(もう故人となりましたが)
4)語学は好きでしたし,語学を専門にすれば当時はだいたい先生になるのが常道でした。
5)初心忘れるべからず
6)小学校時代、副班長としてキャンプに出かけ、身体の不調からわがままを言って、先生に痛烈なお叱りを受けたこと。
7)父
手島 虔 先生(化学)1)船乗りになりたくて,商船大学が無線電信講習所を受験したかったが,種々の事情でやめた。
2)①旅行 ②読書 ③音楽を聞くこと ④スポーツをすること
3)事故
4)父が教員をしていたことなどから、自然に教員をやってみようと思うように
なった。
5)真理の言葉はつねに修飾のない単純なものである。
6)戦地で終戦の報を聞いて、「これで日本に帰れる。」と思った時のこと。
7)尊敬というとあたらないかもしれないが、宮沢賢治の人柄は大好きです。
西内 弘人 先生(英語)1)特になりたいものはなかったが、とにかく東京に出たかった。
2)下手ながらテニスをしたり、スキーをしたり、音楽を鑑賞したりすること。
3)病気。
4)教生の経験がすごく楽しかったし、教えることもきらいではなかった。また、英語の勉強が続けられることも一つの理由。
5)Don’t be afraid to be afraid.
6)幼い頃、満州の原野を飢えと寒さにさいなまされながら引揚げてきたときに経験したこと。
7)父。
石谷 礼二 先生(数学)1)最初は事務官吏を志す。卒業間近に、研究員か教員ならば、専門学校、または陸海軍系統の学校の文官教員か土木官吏になりたかった。
2)旅行をして自然や文化遺産に親しむこと。天文、哲学、史学の本を読むこと。
3)悪に無神経になること。
4)親父から「お前は春になりや、桜が咲くのは当り前だ。流儀の一本気だから理科をやれ」と言われた。機械が嫌いであったから大学は数学を選んだ。戦時中務めていた研究所が戦後消失したため、教員になってしまった。
5)特にこれが一番好きだという言葉は、いま、思い出せないが、先哲偉人の言葉は皆、味があると思う。
6)親父や叔父から受けた体罰。友だちと喧嘩して負け、打たれたり、倒されたりしたこと。
7)多くの学生が尊歌するノーベル賞を受けた学者、または受くべくして受けなかった学者、あるいにシュバイツァー博士の如き人は、僕も尊敬するが、その他中学時代の漢学の原光生、まナこは縁の下の力持ち的存在で人類文化のだめに努力している人々。
高橋 敏彦 先生(英語)1)営林署の技師
2)釣り
3)狂人
4)恥ずかしいことだが立派な人間を作ろうといった使命感に溢れて教師になったわけでけない。たまたま同じ職場に、昔、中学の校長だった老人がいて、巧言令色といったことの下手な私に教師になるようにすすめられただめ。
5)山鹿素行の〝一木一草、皆我が師なり〟という言葉
6)終戦すぐの頃、勤め先で吹雪の夜、宿直をしていて浮浪児に一夜の宿を乞われて、断かってしまった事。
7)スピノザ
吉野 巌 先生(数学)1)三流の科学者
2)四度のめし
3)自動車と飛行機
4)なんとなく。
5)なし
6)適当に忘れている。
7)モナ・カサンドラ(小説中の人)
牧野 尚和 先生(書道)1)入学から卒業まで、教師になりたいと思っていた。
2)毛筆で絵・書を創造すること。
3)自分が堕落の道に一歩踏みこんだと感じたとき。
4)教え子がそれぞれ美しく咲きほこったとき、花びらの一枚か、その色か、香りか何かになれる教師になりたかったから。
5)自愛
6)小学校の4年のとき、おかずを忘れてしまい、先生が半分わけてくれたときと、戦地で敵地を何十里も行軍し、つぎつぎと戦友が倒れたとき。
7)僕を誕生させてくれた両親