「日比谷高校での授業」 森田 実蔵 [鷺高新聞 第79号より]
始業式のとき校長先生からお話がありましたように、元本校の教師の日比谷高校の教頭に御転任なさった森田先生から、日比谷高校の報告書がまいりました。 国語や英語・数学などの授業内容などが詳しく書れてありますが行数の関係で一部しか載せられませんでした。ご了承下さい。
日比谷高校生徒の勉強の仕方はまだ、実はよく判らないのですがどの教材も予習という事が特徴として、先ず驚き、またもこれも方法かと感心もした点です。 日比谷の生徒の自主という事が入学式の時に要請されていて、それが出来ない生徒はこの学校に不向きだと言われています。 しかしやはり子供の事ですから「自主ッ放し」という訳にもいかないでしょう。そこがまた我々、日比谷の教師の悩みともいえましょうか。 それにしても、いわゆる″自学自習体制”という事は、日比谷の場合相当強固に確立されているのじゃないかと思います。 それから生徒は教室で受験の話をするのを好まぬムードがあるようです。ある先生は必ずしもそうではないといいますが、とに角一般に教室であらわにそれを言わぬのが建前のようですお互いに腹にそれを持っているというのでしょうか。そしてまた時々はその為の要点指導が必要というのか。 私も三年の授業で二・三回そういう場面を経験しましたが、うまく彼らの気分を(建前を)こわさぬように話してやると彼らは着意してきいています。やはり受験の事は無関心ではあり得ないわけです。講習補習はありません。驚くほど、実に驚くほど、彼らはクラブや運動に熱中しています。オーケストラを編成し、体育祭や文化祭の為の準備委員会の組織し、弁論大会や合唱祭やサッカーやラグビーや、硬軟の野球に明け暮れています。 このまねはすでにやるのはキケンと思います。ただこういうせわしないクラブや運動の明け暮れに〝自学自習体制〟がよっぽどしっかり確立しているのだろうと思いこの〝自学自習体制〟こそ我ら一般高校生がもっと培かうべきでないかという感じを今私は待っています。 というのは高等学校の勉強は結局〝自学自習体制〟がある程度確立して来ないと「判らない」んじゃないかと思うからです。 鷺宮の生徒に私は少しでも多くあまり人を当にせずに静かに自分の勉強にそのペースに沈潜する、熱中する時がふえるのを期待したいと思っています。
真の「共同学習」 ―感想― 鈴木 菊雄 日比谷の森田教頭先生の「日比谷の生徒の勉強のしかた」を読ませていただいて、強く感じたことは、「教科の虫(鬼)」がたくさんいるらしいということでした。 森田先生も、わたしと同じ旧府立三中の御出身なのべそれをお感じになったかもしれません。 わたしの中学生時代には、先生に、特に新任の先生に、クラス全員で「(その教科での)試合を申し込む」ことがありました。生徒から質問攻めにするのです。また、各「教科の鬼」がいて、その教科だけは、同級生か驚嘆するほどの実力を持っていました。「質間」と手をあげると、若い先生などは少し緊張されるほどでした。 そういう生徒の中に、その教科に自信を持って他の教科も勉強するものと、その教科だけに熱中するものとがあったようでした。しかし、勉強をしいられたことはありません。クラブ活動も実によく行っていました。皆といっていいくらい、教科の得意学科のほかに、何かを持っていたようでした。 「学習は自分がするもの」、したがって、「学習は予習が中心」というのは、・昔の生徒は自然と自。覚させられていました。たぺいっぱんに「共同学習」という点では、今の学生よりはるかに劣っていたようです。「自仕ともに高まる」。真の学習においては、やはり今の学生の方が、よりすぐれているのではないかと思います。ただし、「自主的学習」が基礎になっていてのことです。
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