【論説】 ふりかえるもの [鷺高新聞 第75号より]
先日、屋上においてフォークダンスが行なわれた。体育館では狭苦しく、思うように踊れない、屋上ならば生徒がいっぱいになって溢れることもないだろうし、明るい太陽の下で踊るのもよいのではないか、と執行部が考えたすえの案であった。ところが、いざふたをあけてみると僅か二十数名しか参加しなかった。それと同じ位の人数が見物している始末である。 フォークダンスを盛んにすることは、後期役員の公約でもあり、多くの生徒が望んでいたことでもあった。前期から後期ヘバトンが渡されて、しばらく中止している間「執行部は何をしている」「公約を守らないのか」という声がしきりにあった。勿論、二ヶ月もの聞フォークダンスを中止していた執行部にも手落がある。屋上で行なったことがすべて良かったとは言い切れない。しかし、みんながあれほど望んでいたフォークダンスである。屋上でも狭いほど多くの生徒が参加するにちがいない、と思っていたのだが……。はたして「早く始めろ」といった人のどれだけが参加しただろうか。 投書箱にしてもそうである。一月から正面、中央廊下等数ヶ所に〝直通電話〟として幾つかの投書箱が置かれた。初めのうちはかなりの投書があったが、何日かすると全くなくなってしまった。そこで、今度は各教室に一つずつ置いてみた。だが、これもまた二、三のクラスを除いては、ほとんど入っていなかったそうである。今では中央廊下の〝直通電話〟に投書がある方がめずらしいとか。「生徒の意見をととりあげてくれない」「我々の不満を聞いてくれない」こういう声が以前には何と多かったことか。これではいけないと執行部でも反省し、できるだけ生徒の意見を聞くために作られた投書箱ではなかっただろうか。生徒もこれで自分達の声を聞いてもらえると喜んだのではなかったのだろうか。それが、めったに投書がないとしたら……。 あれをやれ、これをしろ、と注文をつけ、批判をし、いざとなる」と協力も参加もしない生徒、なにかあるとすぐ執行部のせいにする生徒、それではあまりにも無責任ではないだろうか。意見をいい批判をするのも大いに結構である。それがなくては生徒会の発展は望めないのだから……しかし、片手落ち―執行部のみを責めている―のものであってはならないと思う自分達の非をも認めたうえでの意見ならば、順行部も大歓迎だろう。また、この生徒会もより良くなって行くに違いない。 生徒会は執行部だけのものではないということをよく考えてほしい。そして、会長のいう〝下から盛り上げてゆく生徒会〟というものを――。 (胡)
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