今から60数年前の敗戦直後、多くの知識人が国家的贖罪のカギとして戦勝国の「科学」と「合理性」を誉めそやかしている時に、「西欧的理性は二律背反の、どうしようもない矛盾の罠に陥り、ズタズタに引き裂かれ、袋小路にはまっている」と主張した哲学者がいた。
戦前、ドイツ留学でフッサールやハイデガー、オスカー・ベッカーなどとも交流し、西田哲学を吸収発展させた田辺元である。
戦後、政界、経済界、言論界、文化人が「一億総懺悔」を唱えていたころ、田辺元は一冊の本を書き上げていた。

『懺悔道としての哲学』
親鸞の思想に基づき、「我国が懺悔の外に今行くべき途がないということは、単なる絶望を意味せずして、同時に復活への転換の希望を意味する」。それは、敗戦と懺悔の体験があるからこそ、日本はすでに資本主義と社会主義の陣営に分裂している戦勝国に、より健全な地球をめざすにふさわしい中道を示すことができる。
民主主義、自由主義が資本主義社会の不平等を生み、社会主義は平等を目的とするため自由を制限すると予見した。親鸞の「還相回向(げんそうえこう)」の思想により、資本主義的市民社会の自由と社会主義の平等とを綜合する兄弟性《友愛》を以て相結ばれるべきと説いている。
まさしく、この《友愛》こそが鳩山一郎が家訓として残し、前首相が掲げたスローガンであったのではないか。
ただ、小泉元首相の「米百俵」と比べて表現力、アピール力の差で、何か甘ちょろい言葉として上滑りしてしまった感があり、誠に残念です。