昨日、本棚を何ともなしに見ていて、『荘子』に目が止まりました。
斉物論篇「胡蝶の夢」

うらうらとした春の日のことだった。
荘子はうつらうつらと夢を見ていた。ふと気がつくと、自分がふらふらと胡蝶になっている。胡蝶となって空を翔び、花から花を上から眺めて遊んでいる。荘子は夢に胡蝶となったのである。けれども、夢のなかでは胡蝶そのものが荘子となってひらひらと飛んでいる。そのうち、その夢の中の胡蝶の目がさめて、荘子はふたたび荘子に戻っている。
荘子がすぐに目をさましたのではない。胡蝶がまず目をさまし、そうしたら、荘子の目がさめていた。
はたして荘子が胡蝶の夢を見ていたのか、それとも胡蝶が荘子の夢を見たのであった、のか。どちらともいえないし、そのどちらともいえるようで・・・。
2009年8月、民主党による政権交代があり、多くの人が新しい日本を夢見ました。少なくてもこれまで続いた自民党政権より、これから迎える成熟社会、高年齢化社会に合った 政策や行政に期待して。
しかし出てくる政策は、廃止するはずのダム工事が復活、社会保障の切り捨て、原発の再稼働、あげくの果ては消費税の増税、普天間へオスプレーの配備、これでは自民党政権とどこが違うの、むしろ行政手腕が未熟なぶんロスも多いし、何より国民の期待を裏切ったぶん揺り戻しが大きいことが懸念される。もしこれが夢なら早く目をさましたいものと、うつらうつらしながらカビ臭い古書をめくっていました。