エカキさんは文章もうまいなどとおだてられるとその気になる。
ピカソの書いた文は読んだことがないが、ジャコメッティは書くことも好きだっつたらしいし、ゴッホの手紙は有名だ。お世辞を真に受けて、じゃあ何故うまいのかと考える。
絵とは「デッサン力」である。見えたものを見えた通りに描く力。冷静に、客観的に見る訓練が、絵の勉強である。
その観点から万象を見ると、世間というものは大体耳から入った先入観だけで動いでいるなあ、ということがよく見える。
偉そうに言って申し訳ないが、しばしのご辛抱を。すぐ終わります。
スペインにむかし、「ルマサ」という酒造会社があった。みるみる大きくなって、あちこちにミツバチ印のエンブレムだらけになった。社長は大得意でマスコミに出て人気者になっていた。が、僕にはその繁殖ぶりは異常に見えた。ある日、政治的なアレコレによってつぶれた。
同じころ、人びとは「EUが出来ました」と大騒ぎをしていた。通貨ペセタがユーロになるというのだから大転換だ。でも僕にはトイレの中のモノが、トイレットペーパーごとひとまとまりになって吸い込まれていく姿、に見えた。スペインの庶民は、8割の不安と、2割の希望、という感じでとらえていた。
アンダルシアに遊びに行くと、広大なブドウ畑に、ブドウの木がなかった。「この辺は全部ブドウだったよな?」と友人に問うと、「そうさ。皆引っこぬいたんだよ。 EUがここはブドウを作り過ぎだから、綿花にしろっていうわけさ」と説明してくれた。あツ、こりゃダメだ、と思った。EUというのは、金の上で各国のバランスをとっているのだった。ブドウがうまく育つ地域でたくさんブドウを作るのは当然で自然なことだ。それを引っこぬいで他の作物にしないと、EU全体のバランスが悪くなる、というのなら、そのEUとやらが間違っているのではないか?
もとより僕には経済なんて分からない。だが、その歪んだ姿は見える。
結婚前は美人だったのに、結婚後にどことなく顔が非対称になって、つまり歪んで、不美人になった人を知っている。
その人の生活は知らないが、顔や姿を見れば、何事かは分かるものだ。
海辺で漁師の爺さんが言う。「あんたはペセタとユーロとどっちが好きかね?」
「ペセタだよ!」。いまだに僕の頭の中には、1ペセタ5円のフランコ独裁時代から、ユーロになる直前の1ペセタ1.2円の換算しか実感がない。爺さんは大きく肯き、「そうだろ!ユーロになってこの方、魚は獲れない!」「本当?」「本当だよ。貝も獲れない。皆いなくなっちまった!」 これぞ実感であろう。昔、フランコが死んで、国中が一時「自由」の名の下に乱れた時、フランコ派の人々は「フランコの頃は雨もちゃんと降った」と言った。
EUはヨーロッパ人の夢だとかいろいろと言われているけれど、エカキの僕にはただ、コトが終わってトイレのヒモを引くと、ジャーッと水の響く音がして一切合財が暗い穴に吸い込まれて行く。その姿が見えてしまった。トイレットペーパーのかわりにユーロのお札が、海の幸山の幸の排泄物と共にぐるぐる回っているのである。
ひるがえって極東では、日本は濡れ落ち葉のようにアメリカとからまってトイレの穴をぬけ、今しも放射性物質と共に海に放出されたところである。
エカキだから詳しい内容は知らない。ただ見えたものをそのように表すだけである。「デッサン力」と言う。
朝日新聞GLOBE 2015.11.15. より