「友だち」について
学校長 鈴 木 菊 雄1.よい友とわるい友
人は究極においては,孤独であろう。また,人はただ一人では生きられない。矛盾とも思われるこの両面を持っているのが,人の宿命でもあろう。この世に生きる限りにおいては,そして,人の迩命が本質的には孤独であるならばあるほど,人と人との交わりは,「温かく豊かで深く」なければなるまい。その人と人との交わりを広く考えると,よい友とわるい友とになろう。自分を中心に考えれば,常に人に対しては「よい友」であり,「わるい友」にならないよう心がけるべきである。
昔から「善友」と「悪友」とについて、いろいろと論議されたのも当然のことである。ここでは徒然草(第百十七段)に,書かれたことについて少し考えてみることにしょう。
「よき友三つあり。一つには物くるる友。二つには医師。三つには智恵ある友。」
第一に「物くるる友」をあげたことについては,古来いろいろな注釈や考え方がある。しかし,人からものを贈られて喜ばない者も少ないにちがいない。ただ,時と場所と態度と、それに量などにもよるのでもあろうが。第二に,お医者様をあげたのは,人として病苦を救ってくれるほどありがたいことはないからである。兼好は別の段(第百二十三段)で,人生に最も必要なものとして,「衣食住」をあげた後に,薬をつけ加えている。第三は当然である。人に人らしい深い味わいを味わわせてくれるからである。
「よい友」を考えるのに,その反対の「わるい友」を考えると、逆に「よい友」がはっきりしてくる。
「友とするに悪き者七つあり。一つには高くやんごとなき人。二つには若き人。三つには病なく身強き人。四つには酒を好む人。五つには猛き勇ある兵。六つには虚言する人。七つには欲ふかき人。」
この第二は、第三と密接な関係があるが,特に二つとしてとりあげたのは,その血気定まらず、欲が多いという欠点だけを考えたからと思われる。(第百七十二段)
2.四海の人は皆友
では,その「よい友」となるのには、どうしたらよいのであろうか。
司馬牛が心配して言う。 「人はみなきょうだいがあるのに,わたくしだけにはきょうだいがない。」子夏かなぐさめていう。「わたしは先生(孔子)からこういうことを聞いています。『死生富貴は天命なのです。』(きょうだいにめぐまれているのもいないのも、それはその人の天命でどうしようもありません。)君子は、慎みの心を忘れることなく、人と交わるときは、ていねいで礼を守りますから四海の中の人はみなきょうだいになります。君子はきょうだいがないことなど気にかけるものではありません。」(論語「顔淵第十二」)
いわゆる東洋の学問の特色の一つは、常に総合の上に立つ「調和」を求めてきたことにある。「調和」の基盤の上に立つ「中庸」を体得するよう心がけてきたのである。したがって、「中庸」とは、固定したものではない。世の中は常に流動していて、だいたいは左右の重みが平均を失っているようなものであるが、その左右を結ぶ線の上で巧に移動して、平均を保たせているのが中庸であるともいえよう。あたかも[網渡りをする人]のように。「中」とは、どういう方向にも発揮できるあらゆる力を包蔵して、満を持して放だない姿である。それが,その時その時に具体的な姿をとると常に最もよいあり方を示す。それが「庸」である。
人と人との交わり、真の友だちのあり方は、あたかもこの動きの中に調和を求め、その基盤の上の中庸を求めるようなものと考えられる。
3.淡きこと水のごとし
宗易(千利久万)が,ある人の炉と夏冬の心がけ極意を承りたいとの質問に対して,「夏はいかにも涼しきやうに、冬はいかにも暖かなるやうに、炭は湯のわくやうに、茶は服のよきやうに。」これで秘事はすみましたと。これはだれでも知っていることですという不平に対して,「さあらば右の心に叶ふやうにして御覧ぜよ。宗易客に参り、御弟子になるべし。」と。重ねて、[いかにも楽の心に叶ふがよし。然れども叶ひたがるはあし。]と言ったという。「君子の交りは淡きこと水の如し。」(荘子)永久によい友を失わない「ひみつ」はここにある。(39.9.1)
『足跡』第9号 1965年刊より
断章・夜まで
鈴木 亨 国語科教諭
Ⅰ
冬を越した 穂すすきが
風に戦ぐことも忘れて
武蔵野の 夕映えに 灼けていた
激しい音をたてて バスに触れた
何かの若枝が 宿していた雨滴を
したたか散らすのを 見てから
また ねむった
Ⅱ
二上・葛城の連峯を かなめとし
夕づく大和国中(くんなか)の なか空かけて
高々と張り渡されていた
厚い巻雲の織りなす 扇面の絵模様が
しだいに収斂されていく――
と.そこからこぼれ落ちた日輪が
二上の男岳・女岳のあわいで
いちどはずんで
みる間に 燃えつきた
Ⅲ
残んの菜の花明りに 濡れながら
ほの白い野中道を いそいでいた
太子の乗る漆黒の甲斐駒が
法隆学問寺から 橘寺にとどく
帰還を告げる
そのいななきに 促されて
まず撃ち出すのは
小治田(おはりだ)の大宮の 鼓楼である
Ⅳ
明日香野を ひとしきり浸す
寺々や 神の宮々の
暮れの鐘鼓の さんざめき………
が、そのあとに きまってつづく
二上の山鳴り
男岳のいただきに 大和を背にして建つ
大津の皇子(みこ)の墓所のあたりから
それは起こり
葛城の木霊の 胴間声と 呼び交わす
――悪(まが)ごとも一言 善(よ)ごとも一言
われは 言離(ことさか)の神………
その共鳴の底に いま
するどい 一言主の神の
名乗りが 聞こえる
V
やがて――恋人たちが
若やる胸をはずませ
相聞のうたを囁き交わす 闇の中で
葛城の荒御霊も 和み
二上の地鳴りも 最後の
とどろきを 止め
そうして明日香川
逝(ゆ)き廻(た)む丘の 神奈備の
ことごとくの梢を揺すってうたう
ひと目の鎮め歌を 耳にして
油火(あぶらび)のもと 曼荼羅を織りなずむ
百済(くだら)びとらも 筬(おさ)を離れるとき
晴れて また 人々は
不言(しじま)の夜に
身をゆだねるのだろう
Ⅵ
武蔵野を走る バスの中で
首を垂れて ねむっていた自分が
うす汚れた鵠(くい)のようではなかったかと
瞬間 妙な羞しさに襲われた
すると 向うの席で 同じように
ぶざまに仮睡していた男が 顔をあげ
やはり 悲しい鳥の眼を しばたたいてみせた
埴輪 (古美術展より)
花房泰子
あんまり かわいかったので
無性に さわってみたかった
そしたら ケースが じゃまをして
指が こつんと ぶつかった
えんぴつ
えんぴつは 私の心を書く
うれしい時は 2Bで
かなしい時は 2Hで
えんぴつは 私の心を書くホームルーム紹介購買部が欲しい! -1年8組-
第一不便でしょうがない!
これが鷺高に対する不満のー声である。鷺高には購買部がない。そして我々はそれが欲しいのである。
我が鷺高は、都立で最も人数が多い。そんな多勢の生徒を収容している大規模な組織の中に、我々学生の合理的な生活をはかるために、一体どのような設備がととのっているのだろうか。保健室、図書室、水洗便所、ロッカー、講堂、クラブハウス、各種の特別教室そして新校舎増築工事、およそたいていのものがある。しかし、まだ欠けているものがある。その一つに購買部があげられるだろう。誰もが知っている通り,鷺高は人数が多い。ということは需要が大きいことだ。とすれば購買部があればわんさと売れるだろう。何と合理的な生活が出来るではないか。我々はもう朝早く来る必要もなくなるし、帰りもわざわざお店に立寄ることもなくなるであろう。それに大量に購入するから、定価も少し引けるのではないだろうか。こんな結構なことはない。ところが、残念なことに鷺高には購買部がない。なぜだろう。この疑問を一応は誰もが持ったことがあると思う。
ところで「鷺高には購売部なんかは必要ない。」と言う人に、一言我々は言いたい。あなたは高校生活において何かと不便を感じたことはないだろうか。ノートや鉛筆を買い忘れて困ったことはないだろうか。急に学用品が入用になって、駅前の店まで走るのにいちいち許可証をもらわねばならないやり方に不満を感じないのだろうか。そして校章と学年章とが、全然別の場所で売られていることに何の不便さも感じないのだろうか。我々は大いに感ずるのだ。
この問題について、意外に発言者が少なかったのは、問題の趣旨がはっきりしなかったためのみにあらず、我々1年8組の皆の無関心さを表わすことではないだろうか。
早弁について -1年3組-
中学から高等学校へ来て最も変化した事は「早弁」が常識化していることだ。2・3年になると、「早弁」しない者が異常者であるように思われるらしい。これでは小学生より始末が悪い。高等学校ではなく、下等学校と呼び名をかえた方が良いのではないだろうか。
ところで,高校生活半年程を過ごした1年生が、「早弁」についてどんな考え方を持っているか、私達1年3組で討論してみた。「早弁」反対の私にとっては、おもしろくない結果となったが、2・3年生の或人達は,今年の1年生もなかなか成長株だと喜ぶかもしれない。
1年3組の討議より。
「早弁」賛成者の意見
A 腹がすくと体によくないから、早弁してもかまわない。
B 次の授業に影響しなければかまわない。
C 授業中に食べなければかまわない。
D 早く食べても、昼休みにゆっくり食べようという人の邪魔にならなければよい。
E 規則として決まっていなければよい。中立的意見
A 昼休みに、クラブその他の用事で食べられない場合は、早く食べてもよい。
B 早弁がよいか悪いかは、その人個人で考えればよい。
「早弁」反対者の意兄
A 午前中4時間位は我慢すべきだ。
B 10分の休み時間では少し食べるのに短かいし、食べてすぐ授業を行なうのも健康によくないから、早弁には反対。
C 規則として決まっていなくても、4時限終了後に昼食をとるのは常識である。
最後に決をとってみた。なんと、早弁反対者は5人だった。
掃除について -1年5組-
委貝会で我がクラスは、掃除について話し合う事と相成ったのであるが、さて、その全貌を紹介しよう。
開会後暫くしてM氏。
M「どうも男子がやらない様に思います。
自分の身の回りを清潔に保っておくことは我々の義務でしょう。だから、そのことに自覚を持って、もっと熱心にやるべきだと思います。」
それでは,サポリの経験者T氏に。
T「僕は中学校の頃はよくやったんですけどここでは床も拭かないし、せいぜい掃く位でしょ。だから……そのオ……」
委「要するに、やり甲斐が無い、ということですか。」
T「と、まあ,早く言えばそうです。」
委「サボリの原因はそれだけですか。」
T「そりゃ他の個人的な理由も有ります。」
(どうやら、こちらが主な理由らしい。)
次に、他の経験者I君に聞いてみよう。
委「なぜサボるのですか。」
I「さあ?」
委「何か理由があるんでしょ。」
I「さあ?」一張り合いのない返事!
(フム,理由なき反抗というわけか。)
また暫くして、U娘より。
U「ハタキが備えられていないので,高い所が掃除できません。」
(有ったら掃除するのかねエ?)
これからがいけません。何を言おうがウンともスンとも言わない。馬の耳に念仏、豆腐にかすがい、のれんに腕押し、ヌカにくぎ。皆、判で押したように、同じ返事ばかりだ。
何人か指名した後、やっと反応を示したのがY子殿。(アー救われた!)
Y「自分達の身辺をきれいにするという事は大切な事でしょ。だから,私達も与えられた仕事位は、ちゃんとやるべきだと 思います。」
(全く同感! 俺もこれからは,真面目にやるか)
他の意見も大同小異。そして、自主的に意見を出したのが、25分間で4人――。 察するに、以上しか文句はございません。現状で満足です。という訳か。
(ケチなんか、いくらでもつけられそうに思うがなア………。)
掃除を能率的に -1年9組-
今まで私達のクラスでは、4つの班に分かれて掃除をやって来たが、男子の一部の人が掃除をなまけたり、班の中で教室と特別区域に分かれていた為に、教室と特別区域の人数の配分がはっきりせず、男子が全部特別区域へ行ってしまって、教室が女子だけになってしまうということがあったので、掃除当番という事について討論した。
まず、女子に言わせると、まじめにやっている人もいるが、少なからずなまけている人がいるので、協力してやってほしいということだった。そこで男子の意見を聞いてみるとなんとなくとか、する事が無いなどというあいまいな答で、女子に言われればやるなどという意見も出たが、結局これからは、まじめにやるということで、女子も納得した。
結局、ることが無いという事も、なまけるという事も、教室と特別区域の人数をきちんと決めておき、或人がほうきを使い、残りの人は、机を拭いたり、黒板をきれいにずるようにすれば、なまけられないわけである。
結論としては、班の人達で、特別区域と教室の人数の配分をどのようにするか、掃除当番を能率的にする為にはどうしたらよいか、などを話し合って決めることにした。
今まで班の中で男子と女子が話し合うなどという機会は、全然と言って良いほど無かったが、これからも、男子の意見、女子の意見を聞いて、能率の悪いところを改善していけば、より能率が上がるのではないだろうか。