言葉の力、信じない首相 金田一秀穂さん(杏林大学教授) 引用元:朝日新聞 「論耕」2014.9.4.
安倍晋三さんの言葉で面白いもの、印象に残るものってほとんどないですね。 「質問に答えない」と批判されるけど、国会答弁や記者会見を見ていると、ごまかしや言い逃れという感じでもない。ずっとすれ違ったままでかまわないと思ってるんじゃないか。言葉で人を説得しよう、動かそうという気がないみたいに見える。 言葉には、描写の言葉と行為の言葉があります。「椅子に座る」は描写の言葉です。でも、「椅子に座ってください」とか「ありがとう」と言うのは、それ自体が行為ですよね。 政治の言葉は、約束するとか、宣言するとか、基本的には行為としての言語です。でも安倍さんは、言葉は「飾り」のようなもので、行為は別にやればいいと思ってるんじゃないか。 政治家は、言葉それ自体が行為だと自覚しなくてはいけません。吉田茂や佐藤栄作はそこがわかっていた。安倍さんの祖父・岸信介は「私には声なき声が聞こえる」と言って、安保改定を強行した。善しあしは別として、言葉に重さがありました。 でも、今の政治家は言葉が軽い。小泉純一郎さんあたりから、白か黒かのデジタル的で単純な言葉が増えました。わかりやすいことはわかりやすいけれど、薄くペンキを塗るような言葉づかいになってきている。 安倍さんも勇ましい言葉は多い。「まさに」という言葉をよく使うんですね。スパッ、スパッと言い切っていく。深く考えてないから言い切れるんです。考えている人間は、なかなか言い切れないですよ。 その割に失言が目立たないのは、やっぱり言葉が軽いからです。「国民の命を守る」「日本を取り戻す」とか言っておけば文句が出ない。集団的自衛権も「おじいさんやおばあさん、子どもたちが乗る米国の船をいま私たちは守ることができない」といった薄っぺらな言葉で語られる。つるつるした言葉しか使わないから、非難されにくい。 政治だけでなく、社会全体が耳に快い言葉しか受け付けなくなってしまった。反感を買うような「強い言葉」は排除されて、誰も傷つけない言葉が受け入れられる。だから安倍さんに人気があるのかもしれません。 昔のように政治が小難しい言葉で語られ、政治家が強い言葉で人々を熱狂させるのもどうかとは思いますけど、ふわふわした言葉ばかりになるのもすごく危なっかしい。誰も反対できない言葉だけを言っていればいいという雰囲気になると、何かあれば一気に流されてしまう。 安倍さんは言葉に鈍感すぎる。広島と長崎の原爆式典のあいさつが昨年と同じコピペではないかと指摘されたのがいい例で、さすがにみんな気づいてきたんじゃないか。結局、あの人は言葉の力を信じていないんですね。 |
安倍首相は、「戦後レジュームからの脱却」「積極的平和主義」「国民の命と暮らしを守る」と分かったような分かんないようなキャッチコピーがお上手ですが、彼の言動をよく見ていると、政策の本当の狙いを隠すカモフラージュのように思われてなりません。
先日の集団的自衛権に関する集中審議においても、議論をして理解を求めようという意志はなく、野党議員の質問をはぐらかし、自分の主張を繰り返すだけの不毛な答弁に終始していました。
「戦後レジュームからの脱却」と言いながら、集団的自衛権でアメリカへの依存を高め。「積極的平和主義」を唱えながら、積極的に武器の使用を解禁し。「国民と命と暮らしを守る」と言いながら、危険極まりない原発の再稼働を急いでいます。
安倍首相のブレーンに優秀な?コピーライターがいるのは間違いなさそうですね。
そう言えば、彼には小学生のころから東大生だった平沢勝栄衆議院議員が家庭教師をしていたのは周知ですが、前政権時の失敗から余計なことはしゃべらず、ブレーンが書いたシナリオをただ忠実に実行しているだけなのかも知れません。
でなかったら、原爆式典のあいさつ文が昨年のもと同じなんてありえません。