縛られ河童の話 引用元:河童伝説
これは、関東大震災(1923年)まで旧浅草松葉町かっぱ橋本通り(現 台東区松が谷2-31)に在った「浄土宗住心山正法寺」に伝承されてきたと言われる話です。
その昔天の川の「力丸星」の神は悪戯ばかりして、平和に楽しく暮らしている神々は大変困っていたそうです。皆で注意をしましたが、一向に改心する様子が無く、それを仇に益々悪戯が激しくなってしまいました。見かねた御仏は『地上で百万人の人々に善行を施せば再び天の川に住むことを許す』と言って当時沼地で河童が大勢住んでいたと言われる此の地へ「河童」に化身させて追放したそうです。
江戸初期の頃、人々が多く住むようになった此の通りに、日夜何処からともなく河童が現れ、通行人に悪戯をしては面白がり、住民は大変迷惑をし、人々が通らなくなってしまったそうです。ある晩正法寺の住職の夢枕に御仏が現れ、改心させて天の川に戻すようにとのお告げを受けたそうです。早速ご住職は村人と相談し「河童の力丸」の大好物のキュウリとお酒を山盛り用意してご馳走し、酔っぱらって高いびきで寝てしまった「河童の力丸」を法力のある荒縄で縛り『我が百万の人から叩かれ、その人々に功徳を授ければ今まで重ねてきた悪行を許し、縄を解いて天の川は返してやる』と諭したところ、観念した「河童の力丸」は荒縄に縛られたままで昼夜正法寺門前に立ち続け、通行人に我が身を木棒で叩かせて痛みに耐える修行を重ね、その人々に御仏の功徳を祈願したそうです。不思議にも病んでいるところを叩くと、その病が治ったとのことです。
そして、ある年の七夕の夜、「河童の力丸」の姿が消え、門前には荒縄だけが残っていました。
村人達は、「力丸」が大願成就を果たして天の川に帰ったのだと語り合い、毎年7月7日の日に大きな七夕飾りを作り、天の川で凛々と輝く「力丸星」を祝ったとのことです。そして、力丸の功徳に感謝し「縛られ河童尊」としてその荒縄を祠に奉り、村の繁盛と、無病息災を祈願したとの事です。
「河童」にゆかりの「かっぱ橋本通り商店街」では、平成9年「第10回下町七夕祭り」を記念して、一本木彫りの「縛られ河童」を仏教の国タイの彫刻師に依頼し、ここに再現いたしました。
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