森は春から初夏へ。 一時滞在していた夏鳥たちも、おおかた山に移動したらしく、森はとても静かです。ときたま、巣立ったはずのノスリのヒナが餌をねだる声と、まだ居残っているキビタキや、たまに通り過ぎるサンコウチョウの「ホイホイホイ」という声が聞こえる程度。
緑一色の中に、アザミの中では一番に咲くノアザミが鮮やかです。
ところで今日はまたしても言葉について。
息子夫婦が孫をつれてやって来たときのこと。コーヒーを淹れてお嫁さんに「コーヒーどうする?」と聞きました。彼女は「あ、だいじょうぶです。」と答えました。ぼくは、それを「ああ、授乳中だし、いらないんだな。」と正しく理解したのですが、連れ合いは「彼女の分のコーヒーも淹れて。飲んでもだいじょうぶと言ったよ。」と言うのです。
コンビニでも「お箸はだいじょうぶですか?」「はい、だいじょうぶです。」というやりとりをよく聞きますね。ぼくは「いりません。」と言い直すことにしていますが。
「やばい」もそうですが、一つのことばが、場面によって全く正反対の意味になるということが増えた印象です。
NHKの朝ドラを見ていたら、戦前、戦中のはずなのに、言葉が完全に平成の日本語だなと思いました。たとえばものを頼むのに、「◯◯してもらってもいいですか?」
生まれる前のことでわかりませんが、当時なら「◯◯していただけないでしょうか」とか「◯◯してくださいませ(んか)」などになるのではないでしょうか。
今朝も「すごく嬉しい」と言っていました。「とても嬉しい」だよなあなんて、気になってしまいました。
やはり今朝、某タレントが「両親が厳しくて(おもちゃを)買っていただけなかった」と奇妙な敬語。
アナウンサーもあいかわらず奇妙な敬語を使い続けています。
尊敬語のつもりで「着られる」「食べられる」を連発する。「お召しになる」「召し上がる」という尊敬語は死語なのか。
慇懃無礼という言葉も死語なのでしょうね。もしかしたら「いんぎんぶれい」と読むことすらできないのかも。日本語に翻訳すると(?)過剰で不適切な敬語は不愉快であり、普通のことばで言ったほうがいい場合もあるよという意味ですよね。
「◯◯させていただく」なんて典型的ですよね。「読みました」「見ました」少しも無礼でないのに、なぜ「読ませていただきました」「見させていただきました」なんて言う必要があるのだろうか、しかも「見させて」ってなんだ?
アナウンサーだけではなかった。自らをこの国の「立法府の長」とか呼んだらしい、本当は行政府の長の悲願であるところの「美しい国」には、「美しい言葉」は含まれないらしい。政治家だけに通用する間違いだらけの日本語を駆使し、批判する相手にはきわめて下品な言葉で応酬する。そんなリーダーにはだれもついて行かないと思うのですがね。
トットちゃんこと黒柳徹子さんは、日本人のイメージを一変させるユニークなキャラクターです。若いころは「新人類」的な評価を受けていましたね。しかし今、彼女の言葉遣いは、今テレビから流れてくる最も正しい敬語に聞こえてくるのです。
テレビやラジオに突っ込みを入れてはブツクサ言う毎日、おかげで飽きることがありません。