今朝の朝日新聞に『政府批判、遠慮するジャーナリストへ 「戦後の原点」忘れたか』という我が早稲田大学春秋会名誉顧問 西原先生のインタビュー記事が載っていましたので、紹介します。
政府批判、遠慮するジャーナリストへ 「戦後の原点」忘れたか 引用元:朝日新聞 2016.6.11.
早稲田大学総長などを務めた法学者、西原春夫さん(88)がオピニオン誌や言論人の集会で、昨今の報道について「深い憂慮の念を覚える」と繰り返し訴えている。「報道の中立」を声高に求める政府・与党と、政権批判に遠慮がちとも映る報道機関。参院選が近づく。戦中戦後のメディアをよく知り、ジャーナリズムの世界にも詳しい西原さんに話を聞いた。 《小学1年生だった1936年、二・二六事件が起きた。射殺された陸軍教育総監は偶然にも二つ上の姉の同級生の父。身近で起きた大事件が少年だった西原さんの目を社会に向けさせるきっかけになった》 終戦までの間、子どもながら社会をかなり正確に観察していました。ですから、常にあの時代との対比でみる観点が私にはある。最近、報道のあり方に懸念を持ち始めました。 特にゾッとしたのは、NHK会長の発言でした。原発報道について、会長は「当局の発表の公式見解を伝えるべきだ。いろいろある専門家の見解を伝えても、いたずらに不安をかき立てる」と内部会議で指示したといいます。 その後、会長は国会で質問され、「決して大本営発表みたいなことではない」と説明しました。確かに現代で戦前のような言論統制はできません。ただ、最近の報道全体との関係でとらえると、会長の発言はとても象徴的に映るのです。 《昭和の前半、戦時色が濃くなると、国策に沿った報道しかされなくなった。戦況を伝えた大本営発表は事実とかなり異なった内容を発表。報道も従った》 子どもでしたから信じました。でも、後にわかったことは、戦況悪化につれ大本営発表、報道は真実から離れていったということ。 戦後、多くの報道機関が反省を述べました。こんな内容です。「今後は言論の自由を守り、もし公式発表に偏りがあるなら政府に真実を伝えさせ、自らも真実を伝えるよう努力する」 多くのジャーナリストが決意した原点が最近、忘れられていないでしょうか。 《ここ数年、報道への政治的圧力と受け取れる動きが続く。自民党が各放送局に選挙報道の「公平中立」を求める文書を送ったり、放送内容を巡って放送局幹部に事情を聴いたりした。総務相が放送局へ「停波」を命じる可能性に言及したことも議論を呼んだ》 テレビにも新聞にも政府批判を遠慮する空気が出てきたように見えます。 日本人には「空気をよむ」特性があります。全体の平和と秩序を保つのにはよいのですが、半面、一方向に流れ始めると、誰も反対できない。全体に流されやすい国民性でもあるのです。 ■国民の判断、誤らせぬため だからこそ、専門家の意見も参考にしながら報道が是正する必要がある。ところが、最近、その力が弱くなってきていると感じられるのです。 例えば、政権はアベノミクス、TPP(環太平洋経済連携協定)、集団的自衛権の行使容認が必要と言います。しかし「必要」だけで物事は決められません。 政府が新政策を推進する場合、「どんな長所と短所があるのか」「その短所をどう認識しているのか」「長所が上回っているのなら、どんな理由か」を徹底的に追及することが必要です。それは当面野党の課題ですが、報道の責任でもあります。そうした報道は国民に誤りなく判断してもらうための材料提供で、政府の揚げ足とりではありません。 健全な国家には政府に邪魔だと思われる新聞・テレビが絶対必要です。政府も寛容でなければなりません。ジャーナリストよ、戦後の原点に返れという思いでいっぱいです。(聞き手・藤生明)
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