ドライブしながら、久しぶりにCDを聴きました。沢知恵が歌う『人生の贈り物~他に望むものはない』です。
季節の花がこれほど美しいことに 歳を取るまで少しも気づかなかった
並んで座って沈む夕日を一緒に眺めてくれる 友がいれば他に望むものはない
という部分が、昔テレビのCMで流れていました。何のCMだったか全く記憶がないのに、この歌だけは鮮明に覚えているというのは、CMとしては失敗だったのかな?
沢はこの曲を日本語と韓国語で歌います。沢は父が日本人の牧師、母は韓国人で、きっとどちらの言葉も自在に話せるのでしょう。
そのため、ぼくはこの曲を沢の作詞作曲なのだと思っていましたが、実は作詞が楊姫銀(ヤンヒウン)・作曲がさだまさしだそうです。たしかに、メロディーが言葉(日本語)に忠実に寄り添っているあたり、さだ節と言えそうですね。でもまた韓国語もピッタリはまっていて、韓国語と日本語の近さを感じます。(古代の渡来人の記録に、言葉の壁を感じさせる記述がないのは、古代日本語と古代朝鮮語が方言ぐらいの違いしかなかったからではないかという説があるそうですが。)
それはともかく、今回、なにげなくこの曲を聴いていてハッとしたことがありました。全曲はこんな詩です。
季節の花がこれほど美しいことに 歳を取るまで少しも気づかなかった
美しく老いてゆくことがどれほどに 難しいかということさえ気づかなかった
もしももう一度だけ若さをくれると言われても おそらく私はそっと断るだろう
若き日のときめきや迷いをもう一度繰り返すなんてそれはもう望むものではない
それが人生の秘密 それが人生の贈り物
季節の花や人の生命の短さに 歳を取るまで少しも気づかなかった
人は憎み諍(いさか)い そしていつか許し愛し合う日が来るのだろう
そして言葉も要らない友になってゆくのだろう 迷った分だけ深く慈しみ
並んで座って沈む夕日を一緒に眺めてくれる 友がいれば他に望むものはない
それが人生の秘密 それが人生の贈り物
季節の花がこれほど美しいことに 歳を取るまで少しも気づかなかった
並んで座って沈む夕日を一緒に眺めてくれる 友がいれば他に望むものはない
他になにも望むものはない 他になにも望むものはない
それが人生の秘密 それが人生の贈り物
友ってだれを指すのだろうなんて考えるのは職業病ですかね。30字以内で答えなさいなんてね。だれでも良いのでしょう。旧友、悪友、恋人、夫婦……。ハッとしたのは、やはり沢知恵が歌っていたからなのだと思うのですが、これは日本と韓国のことにも当てはまるなと。
人は憎み諍い そしていつか許し合う日が来る
学校に勤めていた者にとって、民族差別の残酷さは絶望的でした。それが、サッカーや韓流ドラマのブームを境に、ウソのように消えてしまった。ぼくが通った少年合唱団のスタジオがあった新大久保の町は、まるで外国のようになり、韓流を愛する日本人が大挙して押し寄せるなんて? ウソに決まってっる、油断するな。
そして今、連日のヘイトデモ。書店に積まれた嫌韓反中の本の山。やはり何も変わっていなかったのかと、さらに絶望的になります。「バカと言う奴がバカ」と昔よく言ったけど、隣国を口汚くののしればののしるほど、おのれの小ささ、卑屈さがむき出しになっていくのに。
そしていつか許し愛し合う日が来るのだろう
そして言葉も要らない友になってゆくのだろう
迷った分だけ深く慈しみ
並んで座って沈む夕日を一緒に眺めてくれる
友がいれば他に望むものはない
韓国語の歌詞では、ぼくの知っているわずかな単語「サラン」と「チング」が聴き取れる。「愛」と「友」でしたね。